お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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明日香村の遺跡で一番チャーミングなのは亀石ですね2008/05/06

亀石@明日香村
 明日香村で理屈なしに楽しめるのは、亀石でしょうね。とてもユーモラスで、マンガのキャラクターのようですから。
 しかし、いつ、なんの目的でつくられたのか、完成品なのか未完成なのかもわからないのです。
 農村風景にとけこんで、存在しています。祠があるわけでも、たいそうな囲いがあるわけでもありません。家の角の置石のように、あたりまえに存在しているのです。
 普段着のような遺跡のあり方が、明日香村らしいと私はずっと思っていましたし、今日もそれが確かめられてうれしく思いました。

「鬼の雪隠(せっちん)」は先住民族の遺跡?UFOの仕業?@明日香村2008/05/06

鬼の雪隠(せっちん)@明日香村
 明日香村の巨大な石の遺跡は、どうも私の頭のなかにある日本文化とはそりが合いません。その違和感は、たとえば、先住民の遺跡を見るような気分なのです。
 それはさておき、亀石のところで書きましたが、飛鳥の巨石遺跡は、普段着のように置かれているということが親しみがもてるのです。
 それは、田舎道の道端にあるお地蔵様のような雰囲気です。
 「鬼の雪隠」も、畑のなかに、ドンと存在しています。1メートルずれれば、そこにキャベツが並んでいるという風に。
 亀石のところでは周りの風景を撮ることを忘れていました。「鬼の雪隠」は、周りの景色をいれた写真を撮りました。
 こんな感じです。



 どうですか、昔馴染みのお地蔵さん的なおかれ方でしょ。
 そうそう、名前の付け方も、およそ学術的ではありません。
昔ながらの言い伝え、つまり、庶民が直感的に感じた名前になっていますね。そして、それがいまも通称として使われています。用途がわかっているわけではありませんから、むげに否定することもできないし、第一、庶民的なユーモアに富んでいます。
鬼の雪隠(せっちん)=鬼の便所ですから。
 おかれている場所は、普段着。ネーミングは庶民的。しかし、その形は、異様であり、威圧的です。シャープな線で造形されていて、なにか強い目的意識を感じます。それが、UFOの持ち主かなんかが造ったんじゃないのかという気分にさせられるのです。

澤地久枝 『密約 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫)2008/05/06

澤地久枝 『密約 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫)
 5日と6日の奈良の旅。自宅との往復の電車のなかで、読んでしまいました。おもえば、この二日間は、一方で英気を養うためのお気軽な観光をしながら、他方で、澤地久枝さんの沖縄返還をめぐる日米密約にかかわる重い主題の本を読みきる・・・なんか二重生活のような二日間でした。
 私が、澤地さんの著作を読むのは、これがはじめてでした。
5月3日の憲法記念日の講演会でお話を聴いて、購入したこの本がそれだったのです。
 どんな内容か、どんな本を書く人なのか興味津々。
 権力犯罪の事件が男女の情事事件にすりかえられていくなかで、後者を無視して前者を追及するというのではなく、主舞台にされた男女関係のなかに、権力の介在を明らかにする、そういう手法で迫った著作だと思いました。
 大前提となる正義への執念のすさまじさ、自らをさらけだしながら、対象に迫る熱さ・・・。公正であろうという意思。
 ぎりぎりのところまで迫りながら、状況証拠では決して形にしない誠実さ・・・。
 そんな言葉がふさわしいのではないでしょうか。
 一方で、退屈で平板に思える法廷闘争を生き生きとした人間ドラマにかえ、他方で、検察側がつきだしてきた男女関係というおどろしい領域のなかに冷静なメスをいれることで権力の闇を照らす・・・もう一冊、読んでみたいと思いました。一冊というのは失礼かな。

アヤメですよねぇ・・・@明日香村2008/05/06

アヤメ??
 アイリスとか、オダマキとか、いろいろ花の名前のレパートリーが増えてきました。もともと知っていたと思っていた花も、実は、違うのではとさえ思います。
 これは明日香村で見た花。
 アヤメ・・・じゃないんですか。この葉と花の色はそうだと思いますが。

古代米のおにぎり@奈良&明日香2008/05/07

古代米のおにぎりを食べました
奈良への日帰り旅行は、お弁当をもっていかなかったので、お昼は外食。
 「ならまち」では、民芸品販売とレストラン(わずか10席)を兼ねたこじんまりとしたお店で食べました。 そのとき出たのが、古代米のおにぎりでした。シソが入っていたので、よけいおいしいと思いました。

 明日香村を自転車で回ったときも、飛鳥寺の売店で、古代米のおにぎりを買いました。そして、石舞台の近くの公園で食べました。
 色は紫っぽいのですが、これが本来の色なんでしょうか?

シバザクラとタンポポが仲良く2008/05/07

シバザクラに寄り添うタンポポ、少し迷惑そうかな?
連休明けの琵琶湖岸。昼休みに公園を歩きました。
ゴミ箱からあふれているゴミ。これは、行楽の落し物でしょうか。
それは、ともかく、花壇に植えられているシバザクラとその周囲に自由に咲いているタンポポとのコラボレーションが、なにか楽しくて撮影しました。
花壇を見ると、4月には、隙間なくシバザクラが咲き誇っていたのに、無残に削り取られた痕が見えます。





これは、自然の仕業でしょうか?それとも人間の仕業でしょうか? せっかくの心づくしの花壇が無残な気がします。

初めてです、この青い花 : シラー・ペルビアナ2008/05/07

青い花が集団演舞しているように見えます。
記憶ちがいかも知れませんが、この花ははじめて見ました。
すこし離れて見るとこんな感じです。



真ん中の紫の部分はなんでしょうね。
別の写真では、ここになにかが生えています。



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にゃこりんさんより、「シラー・ペルビアナ」だと
教えていただきました。
タイトルに名前を入れておきます。

茎は似ていますが、タンポポじゃないでしょうし2008/05/08

茎は似ていてもタンポポじゃないし・・。
  花の色別のカテゴリーを新設しました。白い花、黄色い花、ピンクの花、赤の花、青の花、紫の花など。こうすれば、花の名前を忘れても、あとで探すことができます。
 でも、記事のカテゴリーを変えるのは、なかなかめんどうな手順が必要です。
 それはともかく、この花は・・・まだないような・・・あるような・・・タンポポじゃないし・・・・なんでしょうねぇ。MKさん、にゃこりんさん、マハさん、hummingbirdさん・・・・。

カ タ バ ミ(酢漿草、傍食)2008/05/08

カ タ バ ミ(酢漿草、傍食)
 カメラを持たなければ、ブログをやっていなければ、目に入っていないと思われる花です。
 ほんとうに小さく目立ちません。緑の葉に鮮やかな黄色。しかも、キレイな五角形の花なのに。
 歩道と石垣の間の小さな隙間に種がおちて、花を咲かせたのですね、きっと。

アカカタバミ(赤酢漿草、赤傍食)2008/05/08

アカカタバミ(赤酢漿草、赤傍食)
珍しく花の名前がわかったのは、「野草」というサイトのおかげです。
 これは、「カタバミ」と同じように、歩道と石垣の隙間に根を張って、咲いていました。ネーミングも・・・そのものですねぇ。カタバミに似ていると思ったのは、まちがいではありませんでした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)