お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
気に入ったわけは、このネコ? ― 2008/07/07
天窓発見 ― 2008/07/07
滋賀県琵琶湖環境科学研究センター・センター長(京都大学名誉教授)の内藤正明氏のふっきれた発言(地球温暖化ストップ・シンポ)の面白さが、ずっと私のなかで尾を引いています。
そういえば、この日のことについて、知人のKさんは、批判的な話をしていました。「夢のような話であって、どう実現するのかというプロセスがない」と。
それはそうなんです。地球温暖化を止めるために、産業革命以前の時代にもどすとよいという結論は正解かも知れませんが、それを認めることと、実現することの間には、巨大な溝があるのです。
それほど過激なビジョンでなくても、抵抗する人たちがいるわけですから、簡単ではありません。そういうプロセスの困難さを知っている人たちにとっては、ある意味無責任と思える発言でした。
だれが実現するのか・・・内藤先生のお話のなかから、聞き取れるのは、英明な君主か統治者に期待するってことでしょうか。
でも私にはそこは重要なことではありませんでした。
自分のなかにある大量消費型文明をあきらめきらないモヤモヤした思いにトドメをさしていただいた気がしたのです。
そういえば、最近見たり読んだりすることは、近代化以前のことが多かったのです。
、ビゴーの日本素描集、杉浦日向子の『百日紅』などの作品、一青窈の『大家(ダーチャ)』などに触れるうちに、少なくとも、高度成長時代以前、もっといえば産業革命以前の時代のよさを素直に認める気分になっています。
だから、きっと目に映ったのだと思います。
いつも見慣れた他人の家にある「天窓」を
見上げながら・・・思い出したのです。
小学校高学年のころまで、ずっと夏休みは岐阜で過ごしました。岐阜の母方の実家は、旧い建物で、白熱灯しかない暗い部屋でした。しかし、寝床をしいた部屋には天窓がありました。暗い部屋の中でおびえながら、明るい空をみつめることができる場所・・・天窓は、不思議な別世界への窓に思えたのです。
そういえば、この日のことについて、知人のKさんは、批判的な話をしていました。「夢のような話であって、どう実現するのかというプロセスがない」と。
それはそうなんです。地球温暖化を止めるために、産業革命以前の時代にもどすとよいという結論は正解かも知れませんが、それを認めることと、実現することの間には、巨大な溝があるのです。
それほど過激なビジョンでなくても、抵抗する人たちがいるわけですから、簡単ではありません。そういうプロセスの困難さを知っている人たちにとっては、ある意味無責任と思える発言でした。
だれが実現するのか・・・内藤先生のお話のなかから、聞き取れるのは、英明な君主か統治者に期待するってことでしょうか。
でも私にはそこは重要なことではありませんでした。
自分のなかにある大量消費型文明をあきらめきらないモヤモヤした思いにトドメをさしていただいた気がしたのです。
そういえば、最近見たり読んだりすることは、近代化以前のことが多かったのです。
、ビゴーの日本素描集、杉浦日向子の『百日紅』などの作品、一青窈の『大家(ダーチャ)』などに触れるうちに、少なくとも、高度成長時代以前、もっといえば産業革命以前の時代のよさを素直に認める気分になっています。
だから、きっと目に映ったのだと思います。
いつも見慣れた他人の家にある「天窓」を
見上げながら・・・思い出したのです。
小学校高学年のころまで、ずっと夏休みは岐阜で過ごしました。岐阜の母方の実家は、旧い建物で、白熱灯しかない暗い部屋でした。しかし、寝床をしいた部屋には天窓がありました。暗い部屋の中でおびえながら、明るい空をみつめることができる場所・・・天窓は、不思議な別世界への窓に思えたのです。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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