お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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盛夏とお弁当2008/07/08

暑さにまけそうになって見上げれば鮮やかな花でした
「夏の暑さが気にならなくなった」と書いた翌日から、高い湿度と30度を超える暑さがまちを襲っています。ネコも涼しい場所を求めて、さまよっているし、バテ気味。食欲も落ちています。
 私は、クーラーのスイッチに手を伸ばさないで、我慢我慢。窓からの風を杖にして、涼しくなるまで、部屋で過ごしています。
   カミさんは、天然元気人間なんですが、10時すぎるといきなり電池切れ。仕事だけではなく、早朝のお弁当つくりが相当の負担になっているのです。
 子どもたちが中学生のころは、私もお弁当をつくっていました。
 カミさんも変則勤務だったので、ダメな日は、私の担当。今から思うと、ひどいお弁当でした。冷凍食品で、お弁当用のプチおかずがあります。それを、生協で頼んでおいて、電子レンジで温めて、つめていたのです。輸入食品のホウレンソウに残留農薬問題がおきたりして、その方法はやめることにしました。それからは、手作りの品で5品ぐらいでつくっていましたが、あまり評判がよくなかったらしい。
 「らしい」というのは、子どもたちが私に直接文句をいくことは一回もなかったからです。カミさんにたまにきかれると「お父さんのお弁当はすきすき・・・」(つまり、表面的には、全部詰まっているのですが、お昼にあけるときには、片方によっていて半分ぐらいの量。つめ方がわるいのです。)とか、「前の日、そのままだった」らしい。
 「前の日そのまま」というのは、残飯を洗って、新しいお弁当をつくるのではなく、作ったと勘違いして、洗わないままのお弁当をそのまま渡してしまったのです。
 H君は、フタをあけたとたん、残飯を見ることに。いきなりフタを閉じたと言っていました。やせ我慢をして、食べたふりをしていたんでしょうか。それとも、ベソをかいていたのでしょうか。H君は、合理主義者ですから、さっさとパンを買ったのかも知れません。
 カミさんが現場を離れ、普通の勤務になってからは、一手にお弁当づくりを引き受けています。私の食生活をなんとかしようというのがはじまりでした。お互いの勤務の都合で、わたしが夕食をつくることはありますが、カミさんほど安全性や栄養価に知恵を使わないので、評判はよくありません。味が濃いし、塩分が多い・・・。こういう理由から、お弁当をいくら眠たくても、私なんかにまかせられないのです。申し訳ないけれど、私はそれに甘えることに。
 母となって母を発見するってことがありますね。カミさんのお弁当づくりんは、家族への思いだけではないエネルギーの源泉があるように思うのです。
 ところで、盛夏。
 H君は、扇風機を横において、普通に眠っている様子。K君は、小学校以来の二段ベットの上なので、暑さがこたえるのか、3階から1階へ深夜に降りていって、寝ています。
 みなさんも、体調管理はくれぐれも。

ヤマゴボウ どれが実やら花とやら2008/07/08

ヤマゴボウ どれが実やら花とやら
去年とおなじ歩道にヤマゴボウが実をつけようとしている。実は、濃い赤紫。まだ、その色ではない。花は実より先に咲く。真っ白な茎に真っ白な花。柱頭は、緑。涼しげな気がして、カメラを向けた。
 昨日、湖西道路を使って大津市と高島市を往復する。ちょうど琵琶湖バレーの入口あたり、高架になっている道路の両側に木が茂り、濃いピンクや白の花がたくさん咲いている。それがとても美しいのだけれど、一人きりのドライブだから、写真を撮ることはおろか、観察さえできない。
 名前を知りたいと思う
 事務所に戻ると、高島市選挙管理委員会が記者会見をして、市長選挙・市議会議員選挙の日程を発表したというファックスが入っていた。2009年1月18日告示、25日投票だという。目のなかを追坂峠を駆け抜ける吹雪がよぎる。しかし、部屋の暑さのなかで吹雪はたちまち溶けてゆき、夏の日差しだけが残る。

「和ろうそく」は風に強い2008/07/08

和蝋燭(高島市)のサンプル
 「地場産業をどう思うのか」と聞かれたら、たいていの方は「大切だ」と答えると思います。言葉を継げば「守り、振興すべきだ」と。
この答えにウソはないのですが、「じゃあ、日常生活ではどうですか(振興のために何かしていますか)」と聞かれたら、困惑することになります。信条と個人の日常生活は別でいいとは思いません。でも、「温暖化防止をしたいのなら、車をやめなさい、さもなければハイブリッドにしなさい」といわれたとき、ハイといえないのも事実です。
 「バイブリッドがいいって、琵琶湖研究所のKさんがいっていたんだけれど・・・」と車を買い換えたいといっていたカミさんに打診しても、さらりと次の話題にふられてしましました。
 偽装や裏切りが報道されつづけているおかげで、人の言葉は軽くなり、不信をもって聴けといわんばかりの報道さえあります。それでも「もはや信じられるものがない」という表現は、悪の追認でしかありません。怒るべきところは最後まで怒りきらないとだめであって、木鐸は鳴り響いてことの値打ちなのです。
 私は、むしろ偽りは淘汰されていくと思うのです。短期的には「悪貨が良貨を駆逐する」が、長期的には「良貨が悪貨を駆逐する」と。
 伝統文化もそうです。人の世の長い営みで洗練されてきた文化は、必ず残ると信じたい。弱肉強食、大量生産大量消費、すべてがスタンダード化された商品社会にはない良さがあると、頭では考えているのです。
 6月29日、高島市のある集会で、扇骨・扇子や和ろうそくなどの地場産業の方が次々立ち上がられて、「振興を」と訴えられました。ともに、自分達の息子達が後継者として戻ってきてくれたという喜びの報告と、「この子たちがなんとかやめずに続けられるように」という切実な願いでした。
 それを受け止める立場となった旧知の穀田恵二(衆院議員)さんが、突然「自分がなぜいろんな場で着物を着るのか」という”告白”をはじめました。
それは私にとっても唐突でしたが、そういう形でしか伝えられないものを伝えていたのです。早口だったのですべてを思い出せませんが、
・・・着物は捨てるところがないすぐれたものです。太ってもやせても、背が高くても低くても着こなすことができ、世代を超えて親父のものを息子が着ることができる。ボロボロになったら、座布団の包みにすることができる」
等など。
 ”後期高齢者医療制度を廃止する”という信条を貫くことは、政治家として大事なことです。それとともに、庶民の生活への思いやりと自分でできるささやかな努力をすることも大事なことだと私は思うのです。この後者の点で、「いい話を聞いた!」って思ったのです。
 私も、カミさんから、「あなたは言うだけ」と非難されることはしばしばです。「火災警報器をいつつけてくれるの」(先日の休日につけるつもりだったのに)。ですから、かっこいいことばかりを言うつもりはありません。地場産業は守りたいと思っていても、個人生活では「なにをどうしたら」と迷っている間に、不誠実なことになってしまいます。この集まりに出かけたおかげで、やれることからしようと思ったのです。
 ところで、「和蝋燭は、風に強い」(下の引用にあります)らしいのです。それって、頼もしいじゃないですか。現物を、道の駅に出かけて見てみました(上の写真)が、そのまま飾っておいても美しい。
 ハイブリット車には、すぐ手がでません。必要性は・・・あまり感じない生活をしていますが、和ろうそくなら、無理なく買うことができます。地場産業を守っている方の役にたてるし、工夫ひとつで自分の生活も豊かにできるはずです。そして、なにより信条を日常生活で生かすことができますから。

財団法人 高島地域地場産業振興センターには、高島市の地場産業が紹介されています。和ろうそくについては、直接お話も聞きましたが、つぎの文章がいいと思いました。
今、本物の灯りを追及するために、 最高の原料といわれる櫨(ハゼ) を求めて各地にわずかに残る産地を回り、こだわりの和ろうそくに仕上げたのが櫨蝋燭(ハゼロウソク)です。環境に悪影響を与えない100%純粋の自然の植物を原料にした蝋燭は、風に強く、長い時間美しくゆらめき続けます。現代の照明からは想像もつかないような 「温かみ」と「癒し」 を心に映してくれるのです。こんな心とふれあえる灯りこそが日々求めてやまない “本物の灯り” そのものなのです。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)