お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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九十九話から成り立つ『百物語』(杉浦日向子)2008/07/10

九十九話から成り立つ『百物語』(杉浦日向子)
杉浦日向子のマンガが好きになったときには、
もうご本人は別の世界の住人になっていた。
おまけに寡作。
満腹してあきらめるすべもない。
マンガ以外に、エッセーや江戸物、
小説などを書かれているけれど、
私は、まだ読んではいない。

先日日記にも書いたことだが、
まちなかの古書店で『百日紅』(1巻のみ)、
『百物語』(壱・参)の単行本を手に入れた。
予想通りの表紙。
『百日紅』はすでに文庫本(ちくま文庫)を買っている。
「かぶっても買いたい!」と思うのは、
かなり入れ込んだ証拠だ。

『百物語』の方はこの本がはじめて。
妖怪変化などの奇怪な物語がつづく。
だが、「弐」が欠落。
「壱」を読んだけれど、すっきりしない。
やっぱり、『百物語』だから、
バラバラのストーリーだとはいえ、
全部を読まないとなにか不安(笑)。

そんなとき、
文庫本のコーナーで鶴見俊輔の本を探していたら、
あったのだ。1冊本の『百物語』(新潮文庫)。
たちまち買って、読破。
実際は、百話ではなく、九十九話の物語だと知る。

解説を書いた高橋義夫さんは、こう書いている。

百物語は九十九話が語りおさめで、
百話目を語ったが最期、
化け物が出現してとんでもないことになる。
最期の一話は、
日向子さんが世の中のために、
胸の奥深くに秘めておくのだという。

・・・そして、私にとって
とてもとても残念なことに、
江戸を愛するこの漫画家は
そのままこの世から姿を消した。
偶然、江戸から現在に舞い込んだ
人であるかのように。

黒いトンボ(?)2008/07/10

黒いトンボ
これトンボだと思います。
名前わかりますか。



Дерево2008/07/10

Дерево
ぽつんと立っている姿が不思議に思えた。
私が連想したのは、
アンドレイ・タルコフスキー監督の
「サクリファイス」という映画です。
主人公が子どもとともに植える木があります。
それがここに生え、育っている・・・などと
想像したのです。
それは、人類の未来への希望を表していました。

高島市新旭の琵琶湖湖岸の風景です。

なんの花2008/07/10

この花の名前を教えてくださいな
琵琶湖岸で目につく花。
なんの花なんだろう。

琵琶湖岸で野鳥を見るスポット2008/07/11

新旭浜園地
仕事の往復で使う道は、161号線。
時間を見つけて、
今まで通ったことのない
琵琶湖湖岸のコースを走る。
そこには、いくつか野鳥観察スポット
があり、その一つで車を止めた。
名前は「新旭浜園地」



誰ひとりいない場所。
観察小屋を見つける。



小屋の向こうには、こういう風景が広がる。

自然湖岸2008/07/12

自然湖岸
日常的には、人工のなぎさ公園を歩いています。
しかし、自然湖岸に触れると、癒され方がちがいます。
お昼弁当を食べながら眺めたこの湖岸。
人の姿がないことがいっそう印象的。

ネコはノミとりがおすき2008/07/12

ネコはノミとりがおすき
ニ三日連続して、ネコのノミとり作業。
どこから涌いたのでしょうか?
カミさんが、二匹のネコを捕まえて、
ノミとりブラシで毛をすいています。
ムー♂ネコの毛がたくさん抜けていくのを
心配しています。
モー♂ネコは、逆におなかに毛が
生えてきています。
以前は、なめすぎてピグレット状態でした。

ネコの方は気持ちがいいだけのこと。



公園では、ご近所の二匹のワンちゃんが
訓練を受けていました。
一匹が息子のH君を見つけて
うれしそうに飛んできます。
そういえば、「あの犬は足が速い」って
いってましたから、遊び相手になっていたんですね。
「このワンちゃんは何㎏ですか?」
「15㎏ぐらいです。とても重くて」
そうですか・・・でも、
レトリーバーって30㎏でしたっけ?
いまだふっきれない私でした。

カミさんがノミとりが終わったネコを
もちあげようと苦労しています。
わが家のネコは、たかだか10㎏。
標準体重の2倍といっても、
軽い軽い・・・。

ひたすら暑い・・・・ですね。2008/07/13

先日よりもさらに元気そうな赤い花
カー!!という暑さです。
強い日差しがあらゆるものの輪郭を
浮き立たせています。
可憐なイメージをもつ花も、
話ができるとしたら、
実はオテンバだったりするんじゃないか
と思うときがあります。
元気に咲いている君に降参します。

この花も涼しげに咲いています2008/07/13

暑さくても平気ですがすがしく咲けるその能力がほしい・・・。
昼休みにカメラをもちながら、
食事に出かけました。
暑くて花の名前どころではありません。

「平然と、すがすがしく咲くなんて
このヒト(花)たちは、
どういう神経をしているやら!!」
そんな八つ当たりをしながら。

先日、花屋さんの前を通りました。
クーラーの効いた店内で
咲いている花もありました。
「いくらキレイでも、
そんなひよわなことでどうするんだ!」
と冗談で笑っていましたが、
今や、逆の立場になっています。

なんかわけのわからないことを書いていますね。

ベリーもさらに大きくなっていました2008/07/13

ご近所のベリー
ご近所に植えられているベリー。
日増しに大きくなっています。
このまま放置なんですか?

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)