お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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四つ葉のクローバー まだ元気です2009/06/09

四つ葉のクローバー、茎のしたから根が生えていました
4月30日に、見知らぬ人から、
四つ葉と五つ葉のクローバーをいただきました。

「押し花にしてください」といわれましたけれど、
緑のままにコップに生けておきました。

五つ葉はしばらくして、枯れました。
そういえば、最初から元気がありませんでした。

四つ葉のクローバーはまだ元気で、
窓辺でラッキーパワーを送っています。

きっと、この一ヶ月間、いろんな災難から
私を救ってくれたのでしょうね。

「茎だけなのに・・・」と見たら、写真のように
りっぱなヒゲ根が生えていました。

生きぬくために、はやしたんですね。
植物の知識が乏しいおかげで、
私は、深く感動したのでした。

「カーラールは、現実主義者と
理想主義者について、興味深いことを
言っている。」
「理想主義者は、つねに現実に破れる。
現実主義者は、破れはしない。
だが、世の中の進歩をつくるのは、
つねに理想主義者のほうであった」

ソ連崩壊の何年か前に、
改革派の経済学者がラジオで言っていました。

それは暗い話でしたし、つくりごとのように思えました。
だって、理想主義者がいつも負けていたら、
進歩が生まれる余地はないはず。

私は、カーラールのように堅苦しく考えないで、
四つ葉のクローバーのように、
ヒゲ根を生やすのがいいと思いました。
現実も、自分も変えることができるはずから。

コメント

_ Misha ― 2009年06月09日 21時44分16秒

改革派の経済学者さんのように、「理想」と「現実」はいつも発言者に都合のいいように使いまわされる言葉ですね。
実際は、理想を思う気持ちも、現実を見つめる力も、どちらが欠けても実りのある思想にはなりませんよね。

よつばのクローバーがあって、私なら、別に幸せなことはなかった、と言ってしまいそうですが、「いろんな災難から私を救ってくれた」と言われたBIN★さんの言葉が、私にはとても心に残りました。

_ BIN★→Mishaさん ― 2009年06月09日 23時26分43秒

お待ちしていました。お元気でしたか?
 改革派の経済学者さんの名前が思い出せないのです。東欧の行き詰まる政治と経済のなかで、不条理かもしれないが、希望をもとうという主旨の講演だったように思います。
 そのことを思い出すと、時代は大きく変わったことを実感するのです。
 クローバーはねぇ、捨てられないんです、なぜか。でも、枯れる姿は見たくないのです。
 どうしましょうねぇ。

_ Misha ― 2009年06月10日 09時23分40秒

私の娘が本に挟んで押し花にした四つ葉のクローバーは結構きれいな形で残っていますよ。

_ BIN★→Mishaさん ― 2009年06月10日 12時45分18秒

あの~、枯れる前に押し花をするんですよね。
いままだ・・・生きているんですけど。
根まではやして。
・・・。

_ Misha ― 2009年06月10日 20時12分06秒

非常に複雑な問題ですね。

_ BIN★→Mishaさん ― 2009年06月10日 20時43分59秒

あ、Mishaさん、気を悪くしないでくださいね。
私が煮え切らないだけですから。
めんどくさがりなんです。
ところで、娘さんがいらっしゃるんですね。
お子さんは何人なんですか。

_ Misha ― 2009年06月11日 09時52分05秒

気を悪くするなんてとんでもないです。いろんなことに関わる複雑な問題だなあと…。小学生の娘と息子がおります。

_ BIN★→Mishaさん ― 2009年06月11日 12時13分25秒

子育て真っ最中なんですね。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)