お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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空き地に咲くアガパンサス2009/07/05

空き地に咲くアガパンサス
路地の途中に空き地があり、
夏草が生い茂っています。

そのなかに、見事なアガパンサス。

陸軍軍医少佐の墓碑 レイテ島の戦い初日に戦死2009/07/05

陸軍軍医少佐の墓碑 レイテ島の戦い初日に戦死
 レイテ島の戦いは、米軍が上陸を開始した昭和19(1944)年10月20日から、敗戦まで続きます。この上陸の日に戦死した陸軍軍医少佐の墓碑を見つけました。階級が高い方なので、詳しい人物像をどこかで知ることはできると思います。
 大津に「陸軍歩兵第九聯隊の碑」がありますが、それによれば、この聯隊が全滅し、その歴史を閉じたのが、レイテ島の戦いでした。
 この陸軍軍医少佐は、第十六師団に属していた方だと思われます。

アジサイの裏側2009/07/05

アジサイの裏側
アジサイは盛りをすぎてしまいました。
それでも、これからしばらくは見ることができます。

白いアジサイ。

裏側から撮ってみました。

白い花びらを通して見ると、
日差しも和らぐ気がします。

たくましいベゴニアの運命2009/07/05

アスファルトのすき間のベゴニアの運命は?
今朝は、年に一度の琵琶湖いっせい清掃日。
文字通り、ほとんどの大津市民が朝早くから清掃に出ます。
どの街路でも、タオルを首からまいた人たちが
なんにんも出て、雑草はもちろん、どぶ板をはずして溝掃除。

わが町内からは、三役の人たちが、小学校ちかくの川掃除。
これは、雑草が高く生い茂っているので楽ではありません。
長靴をはきながらの作業です。

三役以外の私たちは、公園掃除。
前日の雨で、雑草は抜きやすくなっていて、
20人ばかりで、汗を流しました。

そのあと、ご近所さんに裏の木の枝が伸びて、
侵入していると言われて、これはまずいと、
すっぱり木を切り倒しました。

そんなかんなの日曜日の朝でしたが、
前日に、ベゴニアを撮りました。
鉢植えではなく、道路のアスファルトの
すき間を埋めて、咲いています。

あ、たくましい!と感動したのですが、
琵琶湖いっせい清掃では、道路脇に生えている
雑草もしっかり抜くのです。

すき間に種をひろげたベゴニアは、
生き残ることができたのでしょうか。

路地には涼しさが広がっています2009/07/05

お寺と長屋のすき間の路地です、もうすぐ出口
ひさしぶりに街を歩くと、
町屋が急速に失われているのが分かります。
そして、路地のある風景も。

路地に入るのは、勇気がいるんですよ。
なんか、怖い所に行くんじゃないかとか。

ほんとうに怖いんですよ~。
行き止まりの広場が実際にあります。
抜け道なしです。
他人の庭にまぎれこんだような
ばつの悪さもあります。

先日、見つけたんです!すてきな行き止まり。
・・・それはまた後で。

上の写真は、長屋のような住宅の裏手と
お寺の敷地の間をぬっている路地。
狭い道の両側に、植木がならんでいます。

車の騒音はとどかないし、
お寺の大きな銀杏が陰をつくってくれるし、

すれちがう人とは変な親近感がわいて、
(だって、お互いに体を横にしないと通れません)
つい挨拶をするし・・・、

いいんじゃないでしょうか。

公園の入り口のヘクソカズラ2009/07/05

公園の入り口で、ヘクソカズラがお出迎え
街中の公園。
人が来そうになくて、草がはえ放題になっています。
日陰がないからなんでしょうね。

奥には、ベンチとアジサイ。
そこだけ撮るとキレイに見えますね。
でも、そんな写真って、撮る値打ちがあるんだろうか?
人には見捨てられているけれど、
野草が「うれしくて仕方有りません!」状態で
生えているのもいいんじゃないでしょうか。
・・・う~ん、とはいっても乱雑。

入り口に、鉄のポールがあって、
車の侵入を止めています。
駐車場に使われては困りますってことですね。

その横は鉄網。
枠はペンキが何度か塗られていますが、
網は錆びて、ゆがんでいます。

そこにひょろひょろ、ヘクソカズラ。
あ、なんかユーモラスじゃないかと撮りました。

ライオンがバターになってしまった2009/07/05

石がライオンに、ライオンがバターに・・・
夏の昼下がり。暑さのためか、公園には人影がありません。
あれ?いつもよりキレイになっています。
草が刈られていて、敷石が見えるじゃないですか。
琵琶湖いっせい清掃日?
いやいや、それはまだのはず(このときは)。

でも、予定より前に掃除したのかな?
(日曜日なので、予定のある人もいるだろうし)

木の周りに、石のテーブルが丸く造られています。
まえにはなにも感じなかったのに、
今日は、やけにステキ感がありますね。
なんか、見たことがあるような風景だなぁ。

へぇ~と思ったとき、心が空白になったんでしょうね。
ライオンとバターを思い出したのです。
半世紀近く忘れていた記憶・・・。

お気に入りの童話があったのです。
3匹のライオンがやってくる。
そのとき、少年がいたのやら、いないのやら、
忘れました。
ライオンたちは、相手のしっぽに興味がわき、
一本の木を中心に、おいかけます。
しっぽは逃げる・・・逃げるしっぽをもったライオンは、
実は、別のライオンのしっぽを追いかけるライオンで、
そのしっぽをもったライオンもまた・・・。
グルグル、まわるうちに、3匹ともバターになってしまった。

超現実的な内容ですね。

色鮮やかなバターは、いつのまにか
冷たい石のイスに変わり、
私は2009年の現実にもどってきました。

公園から外へでるとき、
二人の女性の高齢者がなにやら話しながら、登場。
腰をみると、蚊取り線香がぶら下がっています。
その姿がおかしくて、「蚊が出ますか?」ときくと、
「それはも~これがないと困ります」という返事。

ポーランド語で、蚊は「コマル」・・・・
余計な知識まで思い出した夏の昼下がりでした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)