お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「敦賀第十九聯隊」の文字@高島市2009/07/17

「敦賀第十九聯隊」の文字@高島市
戦後世代なので、旧日本陸軍についての知識が乏しいと実感します。たとえば、高島市で戦死者の墓碑を探し歩いていたときのことです。
 長い碑文がついている墓碑が3つ並んでいるところがありました。その碑文には、すべて「第十九聯隊」の文字が刻まれていました。
 上の写真のように(読み取りが困難かも知れませんが)
 つまり、高島市は、敦賀の管轄区に入っていたということなんですね。
 こういうことも学びながら高島市も歩いています。
 敦賀市には、「敦賀聯隊」の記念碑も建てられています。その碑には、つぎのように刻まれています。

世界戰史に勇名高い歩兵第十九聨隊は明治十九年名古屋に創って同三十一年この地に転営し昭和十五年歩兵第百十九聨隊亦こゝに生る
岐阜滋賀福井等の健児こゝに鍛心練武し明治以来の諸戦役に悉く出で征きて勇戰再び還らざりし殉国の士は壹萬余名を算ふ
時流れ星移るも我等先人の挺身の偉業と祖国愛の精神を永く後世に遺さんと志し国運の隆昌と世界平和を祈念してこゝにこの碑を建てる

これは、付け加えておくべきことでしょうけれど、この碑文には、過去の侵略戦争への反省というべきものは、一行も存在しません。私は、そのことに繰り返し、衝撃をうけるものです。

サイト『沖縄発!役に立たない写真集』から2009/07/17

お借りしてセピア色に焼いた「読谷村の忠魂碑」
ネットは画像名でも検索ができる。
「忠魂碑」というキーワードを入れると、思ったより多数の画像が画面に表示された。ひとつひとつを丁寧に見ていく。
注目したのは、『沖縄発!役に立たない写真集』に掲載されている沖縄の忠魂碑とそのコメント。
トップには次のように書かれている。
特に断りを入れてある写真を除き、著作権等は一切放棄します。
個人利用、商用、軍用、医療用、食用、飲用、奥様の昼間のお楽しみ用問わず自由にご利用頂けます。また、承諾確認のメールは必要ありません。
当然ながら加工も自由です。煮るなり焼くなり好きにして下さい。
なお、ご利用になって、特にトラブル等有りましても、当方は一切関知しません。
当サイトの画像、文章の引用をされた場合、Web上、印刷物上問わず、当サイトからという事を明記して頂く必要は全くありません。というか、その前に、人様のお役に立てる様な写真は一切ありません・・
また、ここに書いてある内容の真偽は定かではありませんので、鵜呑みにする前にご自分で調べてみてください。当サイトをご利用になられる事によって、皆様の社会的信用の失墜、経済的損失、もしくは、クーデター、災害の発生等、皆様に不利益不都合となる事案が発生致しましても、当方は一切の責任を負いません。

こういう事情で、上の写真はこのサイトのものを使っている。ところで、下のリンクをぜひクリックください。サイトのオーナーさんが、忠魂碑につけているコメントはなかなかの代物です。「クーデター」覚悟で言うならば(笑)・・・。

読谷村の忠魂碑ここをクリック。

首里城の忠魂碑ここをクリック。

鎮魂の聖域として残る「忠魂碑(旌忠記念碑)」2009/07/17

思ったより広い空間に忠魂碑があった。
身近な場所にある忠魂碑をネットで探した。

大津市の歴史博物館のサイトでは、検索できなかったが、市内で一つヒットした。場所は、下阪本四丁目。それは、杉浦重剛が乃木希典に依頼して揮毫してもらった碑文をもつ忠魂碑であった。二人とも知られた名前(天皇の教育者としても)であるので、興味がわく。

とりあえず、現物を見に行くことにした。

それらしき付近の神社に立ち寄り、子どもと蝉とりをしていた高齢者に聴いたら、「小学校の近くにあるそれだと思う。毎年、清掃と式典をやっているから」という返事だった。
 車を飛ばして、小学校付近を回る。しかし、石柱が見えない。
 支所に立ち寄りたずねることにした。表で立ち話をしている職員(実は支所長)の方ともうひとりの人に尋ねたら、即答だった。
「ええ!?あそこがそれだよ!」。
しかし、そんなところに石柱はなかった・・・のだけど。
支所長は、「車をここに止めてどうぞ」と私を促す。
「あんな有名なものを知らないのか」といわれた感じがした。

近くまで行っても、実は、まだわからなかった。



正面に来て、ようやくわかったのだ。
そこの茂み全体が忠魂碑を囲む空間。戦死者の鎮魂のためのサンクチュアリだったのだ。

見終えて戻ると、つかまってしまった。
そこで忠魂碑談義。

「市内で、どれだけの忠魂碑を知っている?」「どれだけ見た?」にはじまって、「昔は、各学区にひとつづつあった。そもそも、唐崎は下阪本村の一部であって」と下阪本のアピールが続く。
やっと終わったと思ったら、「坂本の忠魂碑は見たか?」と聞かれた。 「いいえ」と答えると、場所を教えてもらい、「さあ、いっといで」といわんばかりに見送られた。

「旌忠記念碑」@大津市下阪本2009/07/17

「旌忠記念碑」@大津市下阪本
下阪本小学校と同支所のごく近くにある忠魂碑。

杉浦重剛の依頼で乃木希典(元帥・学習院長)が揮毫した「旌忠記念碑(せいちゅうきねんひ)」の文字が見える。横には、「希典書」とある。
背面にも碑文があったが、剥離して一部しか存続していない。

明治43(1910)年に建立。



現在は、下阪本遺族会が管理。
清掃が行き届いていて、尊厳が保たれている。

私には、忠魂碑は、日清戦争と日露戦争を利用した戦争プロパガンダの一環だ突き放してしまうところがある。しかし、遺族にとっては、悲しみの碑にほかならない。理不尽な死を意味あるものとして、建立がすすめられたのは、理由がないわけではないのだ。

もうすぐ食べられる季節に イチジク2009/07/17

イチジクの季節がもうすぐやってくる
街なかに残っている農耕地で、イチジクを見つけた。そういえば、もうすぐ8月。熟すのが楽しみ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)