お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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十字架と「愛」の文字2007/10/01

十字架の印と「愛」の文字が刻まれた旧日本陸軍下士官の墓石
十字架と愛の文字がある墓石。

これは、きっとキリスト教徒の方なんでしょうね。

しかし、これが、旧日本陸軍下士官の
墓碑についているとしたら・・・・
普通のことではないと思いませんか?

だって、旧日本軍はなによりも
「現人神」である天皇の軍隊でしたから。

この墓地で十字架を見つけたのは、これが2つ目です。
ひとつはロシア人捕虜の墓石。

旧陸軍下士官の墓であることが信じられない方は
つぎの写真を見てください。
斜めから写していますから。

旧大津陸軍墓地 :Dブロックに埋葬された人の階級2007/09/30

まずは、階級名を確定。
没年月日はすぐに読めるものだけにします。

D0101 故陸軍歩兵軍曹 大正8年4月21日
D0102 (空白)
D0103 陸軍歩兵軍曹 大正2年10月30日
D0104 故陸軍砲兵曹長 大正7年11月7日
D0105 陸軍歩兵軍曹
D0106 陸軍歩兵軍曹
D0107 故陸軍歩兵軍曹

D0201 読解困難
D0202 読解困難
D0203 軍曹
D0204 故陸軍歩兵一等軍曹
D0205 陸軍歩兵一等軍曹
D0206 (空白)
D0207 陸軍々曹       *山手向き

D0301 陸軍歩兵曹長 
D0302 歩兵伍長
D0303 陸軍歩兵伍長 病没 明治15年9月14日
D0304 陸軍歩兵軍曹 
D0305 陸軍歩兵伍長
D0306 陸軍歩兵伍長 
D0307 陸軍歩兵伍長

旧大津陸軍墓地 : Dブロックの墓碑の配置2007/09/30

 A(将校),B(戦没・戦病没した下士官・准士官),C(病死した下士官)と見てきて、今度は、Dブロック。

配列は、つぎのようになっています。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■  7柱
■ ■ ■ ■ ■ 欠 ■  6柱
■ 欠 ■ ■ ■ ■ ■  6柱
       ↓
      正面

欠というのは、きれいに配列されているのですが、
あるはずの場所に墓碑がないという意味です。
最初からあって失われたという意味ではありません。
(その可能性はありますが)

それぞれにふる番号ですが、B,Cと同じ方法にします。
お墓の古い順にはなりません。
あくまで、正面から見てさがすのに便利な方法として選んだだけです。

上の配置どおりにいくと、

D0301  D0302    D0303  ・・・・
D0201  D0202    D0203  ・・・・
D0101  D0102(欠) D0103  ・・・・

旧大津陸軍墓地 : Dブロックの墓石配置2007/09/25

旧大津陸軍墓地 Dブロックと名づけた墓碑群
「大東亜戦戦没者の碑」の背後にある19の墓石。
ここをDブロックと名づけました。

第3列 7柱
第2列 6柱
第1列 6柱
合計 19柱

配置は写真でよくわかると思います。

大津旧陸軍墓地 Dブロック2007/09/21

大津陸軍墓地 エリアD
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、ここをDブロックと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

『大東亜戦戦没者の碑』があるところです。

個人のお墓が19柱あります。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)