お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「軍都・大津」の過去と向き合いながら考えています。 なにを調べて、なにを伝えていくべきか。 ― 2007/09/21
大津旧陸軍墓地の調査を、仕事の合間に、粘り強くやることにしました。
実務的な計画もたてましたから。
それでも、この墓地の歴史的経過について知りたいことは、たくさんあります。たとえば、
①この墓地は、どういう経過で造られたか。
全国で80あまり造られたと聞いています。
それが原型を残しているのは、ごくわずかとも。
②それはいつのことか。
その管轄はどこだったのか。
③戦前、この墓地はどう扱われてきたか。
④名簿はあったはずだが、それは失われたのか。
大きく言えば、戦後の混乱のなかで、どういう扱いを受けてきたのか
⑤この地を占領した米軍は、どういう扱いをしたのか。
などですね。
同時に、そういう実地調査では直接に見えてこない問題もあります。
それは、現在と未来の問題。
①この墓地は、今のわれわれにとってどういう意味があるのか。
②同様に、次の世代にとってどういう意味があるのか。
③どういう意味で、これを保全していこうというのか。
④形だけ残すのでhなく、市民の歴史意識の財産にすべきではないか。
真田山旧陸軍墓地は保存会などがあり、活動をしています。
それを参考にしたらというアドヴァイスもいただきました。
琵琶湖があり、古いまちなみがあり、寺がやたら多いまちというたけでは大津に生きる市民としては足りないものがあります。
それは「軍都」としての過去。
この悲しい(亡くなった兵士と家族にとっては悲しみ、しかし侵略を受けた側からすると加害者の記録になる)過去をしっかり総括して、それを次の時代の教訓にすることが大切だと思います。
過去を見ないものは、過ちを繰り返すことになるからです。
それにしても、大津のまちは動いています。
墓地は静かで、他人に会ったことはありません。
前にもいいましたね、まるでラピュタだって。
さて、生きて動いているまちに戻って、問題を考えて見ます。
実務的な計画もたてましたから。
それでも、この墓地の歴史的経過について知りたいことは、たくさんあります。たとえば、
①この墓地は、どういう経過で造られたか。
全国で80あまり造られたと聞いています。
それが原型を残しているのは、ごくわずかとも。
②それはいつのことか。
その管轄はどこだったのか。
③戦前、この墓地はどう扱われてきたか。
④名簿はあったはずだが、それは失われたのか。
大きく言えば、戦後の混乱のなかで、どういう扱いを受けてきたのか
⑤この地を占領した米軍は、どういう扱いをしたのか。
などですね。
同時に、そういう実地調査では直接に見えてこない問題もあります。
それは、現在と未来の問題。
①この墓地は、今のわれわれにとってどういう意味があるのか。
②同様に、次の世代にとってどういう意味があるのか。
③どういう意味で、これを保全していこうというのか。
④形だけ残すのでhなく、市民の歴史意識の財産にすべきではないか。
真田山旧陸軍墓地は保存会などがあり、活動をしています。
それを参考にしたらというアドヴァイスもいただきました。
琵琶湖があり、古いまちなみがあり、寺がやたら多いまちというたけでは大津に生きる市民としては足りないものがあります。
それは「軍都」としての過去。
この悲しい(亡くなった兵士と家族にとっては悲しみ、しかし侵略を受けた側からすると加害者の記録になる)過去をしっかり総括して、それを次の時代の教訓にすることが大切だと思います。
過去を見ないものは、過ちを繰り返すことになるからです。
それにしても、大津のまちは動いています。
墓地は静かで、他人に会ったことはありません。
前にもいいましたね、まるでラピュタだって。
さて、生きて動いているまちに戻って、問題を考えて見ます。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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