お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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真田山の「保存の会」の作業を参考に大津でも基本的なデータをつくることにします2007/09/21

前にもどこかで書きました。
真田山には、陸軍墓地と保存を考える会があります。
サイトが2002年5月14日に出来ていて、いまも更新されています。

http://www.jttk.zaq.ne.jp/bacas400/sanaboti/

この会の活動が多面的に紹介されていて、
私には、大いに参考になります。

 「墓地への行き方と基礎知識」というページからは、まずなにを明らかにしなければならないかがわかります。

●「配置図といろいろな墓碑」
 
これは、初期版を私もつくりました(↓)
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

●各ブロックごとの墓石配置

このようなタイトルで、真田山では、以下のように整理されています。

A  軍役夫    934基
B  兵卒    1260基
C  下士官    247基
D  下士官    154基
E  兵卒      707基
F  兵卒     1413基
G  将校      155基
H  野田村遺族会建立
            169基
I   破損墓碑塚 
          260以上
合計    5299基以上

これと同じものをつくることは大事ですね。
私は、ブロック分けはしてみました。
ブロックごとに丁寧に作業をすすめるほかはありません。
大津の陸軍墓地は、真田山の規模の10分の1(559基)ですから、
まだ楽といえば楽ですね。

●歴史と沿革

 これはまだ白紙。
しかし、大津の第九連隊は大阪の第4師団に属していましたから、同じ師団に所属した真田山と経過が重なるのです。
 このページを読んで、私が抱いたいくつかの疑問(・・なぜ、日露戦争の個人のお墓がすくないのか?)への回答が見つかりました。
 これについては別に書いてみます。

●崩壊の危機にある墓碑

 これは、保存のために必要な作業。
各ブロックごとに表までつくられています。
ここまでやるには、個人的な作業では無理ですね。
大津でも「保存の会」をつくることが必要になります。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)