お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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旧大津陸軍墓地の基本的な配置が理解できました2007/09/28

 軍隊という厳格な階級組織を実感としてもたないために、ずいぶん遠回りをしたと思いました。頭で知っていても役に立ちませんでした。
 旧大津陸軍墓地の配列を見ただけで、見晴らしのよい上の段は将校クラス。下の段のいくつかの少数(20から30程度)の墓地は、准士官か下士官。まとまっている(100~200)墓は、兵のもの。
 このように、すぐに直感できたはずです。
 戦死された年月日を見ることが先で(どの戦争でなくなったか)、墓碑に刻まれた階級には関心がなかったのです。

 つまり、1976(昭和51)年の移転前の配置そのままだと思われるA~Gまでは、
      A 将校          少尉から少将まで20柱
      B 准士官と下士官   特務曹長、軍曹
      C 下士官         軍曹、伍長
      D 下士官         軍曹、伍長
      E  兵           上等兵、一等兵卒、二等兵卒、
                      輜重輸卒
                     (例外的に、士官候補生)
     (F は不明)
      G  捕虜         1柱

ということですね。

コメント

_ マハ ― 2007年09月29日 08時40分47秒

日本の独特なたて社会が、お墓になっても続いて、きっとあの世の世界でも続くのかもしれないですね。
ちっとも開放されないのが辛いなぁ~

昔、水木しげるさんのマンガで
フィリピンかマレーシアかどこかで、戦死した大勢の日本兵が通りを列になって歩く・・・そんな幽霊を見たそうです。

私が読み飛ばしているのかもしれませんが・・・
このお墓に眠っている方々は無縁って言うことではなのでしょうか?
以前に家族の方や、会の方が守っていらっしゃるのですねぇ~って書いたけど、今ふとそんなこと考えたのですが。

_ BIN★ ― 2007年09月29日 15時45分18秒

 この墓地の管理者は、いまは大津市。昭和20(1945)年までは、陸軍。それから、財務局へ。昭和21(1946)年に自治体へ無償貸与という流れです。
 もともと陸軍がつくったものですから、階級の区別が厳然としてあるのは、それなりに納得するしかありません。
 敵味方の区別なくという点が、靖国神社よりましです。
民間墓地は、階級に関係なく葬られています。これが一番自然かも知れません。ただ、他の墓石と区別された特別の形をしているのは、無意識にせよ無念さの表れなんでしょうか。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)