お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ひさしぶりにイオンモール対策会議(11月27日)に出た私の感想を書いてみました2007/11/28

●「イオンモール出店反対とまちづくりを考える会」

 しばらく参加できていなかった「イオンモール出店反対とまちづくりを考える会」の幹事会に出てきました。午後6時開会なのに、いつものように6時30分からと勘違い。他のみなさんにご迷惑をおかけしました。
 ところで会報も23号になったんですね。はじめたのが2006年でしたから、もうそんな数になるんですね。

●「フォレオ大津一里山」説明会 11月17日

 誘われていましたが、行けませんでした。人の集まりも、熱気もすごかったと聞きました。地元の自治会の方からの質問や批判が大きく、その勢いに押されて質問したかった人もできなかったというぼやきも出たとか。

住民側の意見はこうです。

「交通量が多くなる」「今日の説明会は説明するだけで、要望を聞く気があるのか」「地元商店との共存はどう考えるのか」「イオンの影響(交通面も含めて)をどう考えるのか」

などなど冒頭で出されたそうです。

 大和ハウスの回答

 「改善するところは改善する。みなさんの意見は県に言ってもらい、県からご指導を願う」(要するに、住民からの要望は直接受けない。県の基準にそって許可されているのだから、問題はない。文句があるなら県にいえという感じ)
 「賛同してもらっているというわけではないが、瀬田商工会には説明した」「イオンの影響は調べてない。不十分なら県から指導があるはず」

 それでも住民側は納得しません。

 「今でも渋滞しているいくつかの箇所が調査対象からはずされているではないか」「排水の同意がない」「地元は工場が建つということで建設に同意している。商業施設はおかしい。」

再び大和ハウス

 「排水の同意は最近はいらなくなった。”理解を求めるように”という指導はあるが」「われわれは手続きにしたがってキチンとやり、市や県の許可を得ている。ここで言ってもらっても困る」

●びわこ空港や新幹線新駅などと共通

 以上のことが報告され、私は注目してききました。複合商業施設をつくるときに、住民が置き去りにされていく姿がそこにははっきりでています。
 開発する側は、県や市に許可もらっているんだから、いいじゃないか。住民への説明会はやるべしというだけで、合意をえる必要はない等など。
 この論理は、びわこ空港でも、新幹線新駅でも同じです。県や市が主体になるかならないかの違いはあっても、住民の側にたつ気のないところでは、どこでも、住民おきざりという問題は生まれるのです。

●交通問題は突破口になるのか

 たちまち起こる被害は交通問題です。イオンモールも守山リゾートSC(ワンワン王国跡地)も、それぞれ、近江大橋、琵琶湖大橋という渋滞が危惧されるところに立地しています。フォレオ大津(ヤンマー跡地)も同様です。
 それは、これらの開発の弱点でもあるので、やめさせたいと願う側がからすれば、突きどころになるでしょう。
 同時に、それは問題を狭めることにもなります。

●これ以上の商業施設がいるのかと正面からの議論を

 アメリカの例を見ると、巨大な複合商業施設の進出計画には、多種多様な団体が声をあげますし、多面的に問題が明らかにされていきます。それは、草の根デモクラシーの成熟度だと思いました。
 滋賀県は、この10年間に、たくさんの住民運動がおこりました。税金を使う無駄でぜいたくな開発や産廃などの危険物へ対応では、前進しました。けれど、全国的に見ても、大型商業施設の進出が際立っている地域なのに、反応は鈍いものになっています。
 直接目立つ問題で声をあげて、商業施設を止める努力をしようとしていますが、本来の主題=これ以上の大型商業施設は必要なのかという問題で、なんとか世論を広げられないのかと、私は考えるようになっているのです。これら三つについては、すでに整地もすみ、出店許可が出される寸前まで来ています。間に合わないにしても、直接交通渋滞で困惑する地元の住民だけでなく、より広域の住民に対して、大きな問題提起はすべきだと思うのです。・・・思うは安し、行うは・・・ですけれど。

コメント

_ マハ ― 2007年11月28日 16時52分49秒

この間、琵琶湖大橋を渡った時にみた「わんわん王国」跡地。
綺麗に更地になりかけていました。
明らかに何かが建つって言う感じですね。

琵琶湖大橋の渋滞がなかなか問題ですよねぇ~
京都左京区にもちょっとしたSCがあります。
地域住民の希望をいっぱい飲んで作られました(と、思います)が、
余計に交通渋滞になったいるようです。
本当のところはどうなのかは分かりませんが、利用するものはちょっと首を捻っています。
でも近隣住民はそれなりに大変ですものねぇ~

_ BIN★ ― 2007年11月28日 18時10分16秒

ご近所はやっぱり大変だと思います。混雑で自宅から土日には出られないってことになりかねませんから。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)