
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
フルトヴェングラー 『音と言葉』(芳賀壇訳) ― 2008/09/12
フルトヴェングラーの『音と言葉』を買いました。
実は、三度目です。一度目は、1970年代後半。
ニーチェに夢中になっていた私は、
フルトヴェングラーの演奏にも、
魅せられて、その交差する著作である
この本を買ったのです。
内容は、以下のとおりです。
○すべて偉大なものは単純である
○バッハ
○ベートーヴェンの音楽
○ベートーヴェンと私たち
-「運命」第一楽章のための注意-
○「フィデリオ」の序曲
-文献としての真実の価値-
○ロマン派について
○ブラームスと今日の危機
○ワーグナーの場合
○アントン・ブルックナーについて
○ヒンデミットの場合
○作品解釈の問題
○ヴィーン・フィルハーモニーについて
-百年祝典記念講演-
○音と言葉
表面的にさえ理解したといえない
私は、しばらくしてこの著作を売り払い
LPを買う足しにしたと思います。
それからずいぶんと経ちました。
ニ三年前に、もう一度単行本を買いました。
ここで触れられている作曲家は、
頻繁に演奏されるし、CDも豊富ですから、
音楽に詳しくない私でも、
関心をもって読むことはできるのです。
でも、残念ながら、持ち歩くには不便で、
なんか構えた時間が必要に思えました。
今日、文庫本を見つけました。
不思議なことに、同時に買ったCDは
なかなか縁のあるものでした。

オーケストラの代わりにピアノが
演奏するベートーヴェンの第九交響曲。
ピアノは、小川典子さん。
合唱は、バッハ・コレギウム・ジャパン。
ピアノの編曲は、リヒャルト・ワーグナー。
さきほど、フルトヴェングラーの本から、
ベートーヴェンの章だけを読みましたが、
記憶にあるとおり、ワーグナーのベートーヴェン論は
高い評価が与えられていますね。
実は、三度目です。一度目は、1970年代後半。
ニーチェに夢中になっていた私は、
フルトヴェングラーの演奏にも、
魅せられて、その交差する著作である
この本を買ったのです。
内容は、以下のとおりです。
○すべて偉大なものは単純である
○バッハ
○ベートーヴェンの音楽
○ベートーヴェンと私たち
-「運命」第一楽章のための注意-
○「フィデリオ」の序曲
-文献としての真実の価値-
○ロマン派について
○ブラームスと今日の危機
○ワーグナーの場合
○アントン・ブルックナーについて
○ヒンデミットの場合
○作品解釈の問題
○ヴィーン・フィルハーモニーについて
-百年祝典記念講演-
○音と言葉
表面的にさえ理解したといえない
私は、しばらくしてこの著作を売り払い
LPを買う足しにしたと思います。
それからずいぶんと経ちました。
ニ三年前に、もう一度単行本を買いました。
ここで触れられている作曲家は、
頻繁に演奏されるし、CDも豊富ですから、
音楽に詳しくない私でも、
関心をもって読むことはできるのです。
でも、残念ながら、持ち歩くには不便で、
なんか構えた時間が必要に思えました。
今日、文庫本を見つけました。
不思議なことに、同時に買ったCDは
なかなか縁のあるものでした。

オーケストラの代わりにピアノが
演奏するベートーヴェンの第九交響曲。
ピアノは、小川典子さん。
合唱は、バッハ・コレギウム・ジャパン。
ピアノの編曲は、リヒャルト・ワーグナー。
さきほど、フルトヴェングラーの本から、
ベートーヴェンの章だけを読みましたが、
記憶にあるとおり、ワーグナーのベートーヴェン論は
高い評価が与えられていますね。
司馬遼太郎 『花神』 ― 2008/09/12
昨晩、ブックオフで買った本は、
ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』
フルトヴェングラーの『音と言葉』
そして、司馬遼太郎の『花神』でした。
CDは別にして。
司馬遼太郎の『花神』は、
NHKの大河ドラマになりました。
それでよく覚えているし、
直後に、本まで買って読みました。
村田蔵六の生涯・・・後の名前でいけば
大村益次郎の生涯を描いたものです。
その当時は、地味な主人公が
不思議なくらい緻密な能力を生かして、
歴史のなかで重要な役割を演じて
散っていく姿が「カッコいい」と思えました。
その後、日本陸軍の創設者である
大村益次郎の生涯の描き方として
これでいいのかという疑問も涌きました。
ドラマはドラマ、小説は小説にすぎない
現実とはちがうんだ
といえば、それまでです。
今日、ブックオフで見つけたのは、
上・中・下のうち「中」だけです。
それでも、最初読んだときには
気がつかなかった細目に目が行き、
別の関心から読みたいと思って
買ったのです。
ちなみに、大村益次郎は、慶応3年に
大津市を訪れて、ここに陸軍の
宿営地をおくことに決め、
三井寺から土地の提供を求めています。
軍都・大津市の出発点は、
やはり、日本陸軍の創設者によって
記されたといえるのです。
ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』
フルトヴェングラーの『音と言葉』
そして、司馬遼太郎の『花神』でした。
CDは別にして。
司馬遼太郎の『花神』は、
NHKの大河ドラマになりました。
それでよく覚えているし、
直後に、本まで買って読みました。
村田蔵六の生涯・・・後の名前でいけば
大村益次郎の生涯を描いたものです。
その当時は、地味な主人公が
不思議なくらい緻密な能力を生かして、
歴史のなかで重要な役割を演じて
散っていく姿が「カッコいい」と思えました。
その後、日本陸軍の創設者である
大村益次郎の生涯の描き方として
これでいいのかという疑問も涌きました。
ドラマはドラマ、小説は小説にすぎない
現実とはちがうんだ
といえば、それまでです。
今日、ブックオフで見つけたのは、
上・中・下のうち「中」だけです。
それでも、最初読んだときには
気がつかなかった細目に目が行き、
別の関心から読みたいと思って
買ったのです。
ちなみに、大村益次郎は、慶応3年に
大津市を訪れて、ここに陸軍の
宿営地をおくことに決め、
三井寺から土地の提供を求めています。
軍都・大津市の出発点は、
やはり、日本陸軍の創設者によって
記されたといえるのです。
葉をまもる蜘蛛?イトが見えません。 ― 2008/09/12

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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