お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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アリが花粉を運ぶ2008/09/10

アリが花粉を運ぶ
これって、アリが花粉を運んでいるんですね。

それだけの写真。

日差しは強いけれど、空気はさわやか。
やはり、9月。

蝶は風邪をひかないのでしょうか?2008/09/10

花に蝶・・・蝶は風邪ひかないのかな?
蝶の名前はわかりません。
この角度からは、羽の模様が見えないので、
教えていただくことも難しいでしょうね。
羽を開くときをゆっくり待ちましょう。

忙しいなかに、のんびりした時間。

でも、今日は風邪気味で頭が重いのです。
窓際でおまけに、窓を開け放して寝たせいです。

蝶は、風邪を引かないんでしょうか?
変な疑問が浮かぶのは、風邪のせい?

中核都市移行まであと少し2008/09/10

中核都市移行にともなって大津保健所が大津市に
大津市が中核都市移行まで一年を切りました。
2009年4月からですね。
県から権限や業務が移管されますが、
その一つが保健行政。

写真は滋賀県大津健康福祉センター。
このなかに大津保健所があるのですが、
移管するから、家賃を払うことを
大津市が求められています。

しかし、すべての中核市でそうなっているわけでもなく、
ケース・バイ・ケース。
滋賀県は、年間一千万円を主張し、
大津市は、300万から400万と
一致するにはまだ距離があります。

移管にともなって、
あらたに市民負担をふやすべきでないと
私は思います。

高杉一郎 『征きて還りし兵の記憶』2008/09/10

高杉一郎 『征きて還りし兵の記憶』
この本の帯に
「スターリンとは、社会主義とは、
 戦後とは何だったのか」
と書かれています。

このタイトルから、
シベリア抑留の悲惨さと
ソ連のスターリンの悪行の
告発だと思っていました。

すでに事が明白になっていますから、
あらためて読む気がしませんでした。
それで、書名は知っていましたが、
読まずにパスしてきたのです。

先日、岩波現代文庫などから
戦争にかかわるものを数冊まとめて
買ってきました。
この機会にとこの本も買ったのです。

買えば、当然、読みますね。
最初の数章も心安らかに読める
内容ではありませんでしたが、
帰国後の章に入ると、
いっそう胸がふさがる思いでした。

私が最も打たれたのは(といっても、まだ途中)
「福原鱗太郎と宮本百合子」の章でした。

帰国してなおスターリンの亡霊に
二重、三重に苦しめられ、
傷つけられた人たちがいたのですね。

社会の進歩を願う人たちが
その亡霊に支配されるようなことに
どうしてなったのかと
同時に、どういうプロセスをへて
そこから抜け出すことができたのかと
その代価を払った人たちは
どうなるのかと思わずにいられませんでした。

竹内浩三 『戦死やあわれ』2008/09/10

竹内浩三 『戦死やあわれ』
私は竹内浩三を知りませんでした。

この本を買ってきた後、K君に見せると
知っているといいます。
映画監督になりたかった人でしょ
カミさんがK君に買った本があり、
それに載っていたといいます。
驚いて、カミさんに確かめると、
「そうそう私が買ったの。でも中身は読んでないけど」

先日から、戦争の具体的な姿を知りたくて、
本を漁っていました。
この本を買おうと思ったのは、
ページのいくつかに
「トスカニーニのエロイカ」、
「メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト」、
などの名前が並んでいたからです。

そういう感性をもった人が書いたものなら
親しみこめて読めるかと思ったからです。

ちなみに、「トスカニーニのエロイカ」は、
私がクラシックにはまりこむきっかけとなったディスク。
「メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト」は
(どうでもいいことですが)
カミさんからのケータイの着信音です。

竹内浩三の遺稿からは、
せいいっぱい生きているんだ
生きるんだという思いが飛び散っていました。

ロシア語が出てきます。
第一外国語学校という予備校に通っていたんですね。

『ロシアノ小説ヲ読ムトヨク、温イ一隅 теплого угла ト云ウコトバガ出テクル。タトエバ、チェホフノ「殻の中の男」ニモ「自ラヲ嘲リ、自分自身ニ嘘ヲツク‐‐コウシタコトモ、一片ノパンノタメ、温イ一隅ノタメナノデスカラネ」
コノ手帳(=竹内浩三の)ハ、ボクノ「温イ一隅」トモ云エル』

その手帳を読みながら、
「温イ一隅」の主から青春と未来の可能性を
奪った戦というものへの憤りと
やるせなさが湧いて来ます。

Нет,больше жить так невозможно!
このロシア語は日記中にあったもの。
意味は、『もうこれ以上生きられない』
24年の生涯でした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)