お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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駐車場のネコ2011/09/03

駐車場のネコ
台風が接近する夜。屋根つきの広い駐車場でノラネコを見かけた。だれの車かわからないけれど、その上。逃げられないように、300㎜のレンズで撮った。なかなかの面構え。

コメント

_ やつしろ ― 2011年09月04日 15時09分08秒

台風・・・予想通り、大したことなくて良かったですね。
この頃の予報は、とても大げさで、何処にいても台風の大被害をうけるような錯覚に陥りそうですが、そんな馬鹿なことはありえません。
土台、あの進路の描き方・・・日本地図の大きさから比べると、ホントデカ過ぎ。何処にいても、自分の真上を通るみたい。
それに、ヘクトパスカル値は低いのに、大型、大型と騒ぎすぎる。

 私ラ、長いこと人間してるので、大体の見当はつく。
だって、昭和の三大台風・・・室戸台風、枕崎台風、伊勢湾台風は申すに及ばず、
第二室戸台風、ジェーン台風などなどイッパイ出会っている。
 今度の12号なんて、台風のチンピラだと思う。(雨は別・・・だって、勝負は風の強さだわさ。)
50年前、昭和36年の9月16日・・・独身の私だけ勤務先の学校に残されて、一人で学校の留守番をさせられた。(午前9時室戸上陸のニュースを聞いた校長以下全職員は、大いに驚き、子どもを帰らせて、自分らもトットと帰ってしまった。)
 グラっと校舎は傾くし、屋根の瓦や運動場の鉄製の指揮台が紙製のようにヒラヒラと飛んでいくし・・・全く生きた心地はしなかった、なにせ、室戸に上陸した時925ヘクトパスカル、学校の真上を通ったときは、960だったもんね。

 昭和34年の伊勢湾台風・・・・死者が4700人・・・930ヘクトパスカル(その頃はミリバールと言っていたが)

 それに,生まれた年(昭和9年)9月21日の室戸台風のデカかったこと・・・
学校が沢山倒れて、子どもがたくさん死んだ(3000人)。
 こいつも、私の家の真上を通ったから、大きな被害を被った。
生まれて一月余りだから、詳しくは覚えてないが、本堂の障子が飛ばされて、内陣の聖徳太子の御絵像も飛ばされて、筆と墨のある所へ飛んだものだから、太子の鼻の横に、まるでヒゲのように墨がついた光景だけは、はっきり覚えています。

 今度の大雨・・・これは凄い!
 市内の各河川・・大から小まで、濁流満杯・・・

_ BIN★→やつしろさん ― 2011年09月04日 22時08分27秒

被災した人たちはほんとうに気の毒に思います。

室戸台風・・・伝説としてはきいています。
たしか、第二室戸台風というものありましたね。

最近のことで気になるのは、記録を次々と
塗り替える震度と降雨量です。
気象は詳しくないのでよくわかりませんが、
降雨量は温暖化と関係があるのでしょうか。

_ やつしろ ― 2011年09月04日 22時53分10秒

50年前、昭和36年のが「第二室戸台風」です。
室戸岬付近に上陸し、大阪湾を通るコースは、必ず滋賀県を通り、大きな害を与えます。
今回の12号も、室戸付近に近づいたので、ひょっとして「第三室戸台風」になるかも・・・と、昔を知っている人は、心配していたのです。
私は、「違う」と、思っていました。
でっかい、名のある台風は、こんなにモタモタしない。
もっとさっさと動く。だから、気圧が低い。
室戸台風の寿命は8日、第二は9日、伊勢湾台風は6日、枕崎台風は11日です。
12号は、二週間ぐらいじゃないですか?

降雨量と温暖化との関係・・・・「ある」という人もいますし、「ない」という人もいます。
原発が、「安全」という人がいるのと同じです。
 昭和36年7月、ごっつい水害もあったんですよ。

_ BIN★→やつしろさん ― 2011年09月04日 23時38分12秒

そうですか。
最近、滋賀県で台風が通過することは少なかったですね。
伊勢湾台風や枕崎台風も、伝説の世界です。
そういう名前は、今回の12号にはつくのでしょうか。
超大雨台風として、名を残すかも知れませんが。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)