お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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路地のあるまち2008/06/26

路地
 狭い路地がなくなりつつあるようだ。私の現在住んでいる地域は、迷路のような魅力があった。路地の間口は狭いのに奥が気が遠くなるほど深く、入り組んでいた。
 それらは、戦後の混乱のなかで、形成されたのかも知れない。高齢化し、居住者がいなくなるとともに、迷路はきえていった。取り壊しが進み、あとは明るい日差しがいっぱいに入る駐車場。再開発計画が進む。
 事務所の近くも、同様。しかし、路地が残っている区画がある。迷惑をかけないように、さりげなく通り過ぎる・・・。

花なのか、葉なのか紛らわしい・・・2008/06/26

なぜに紛らわしい形態になるのかと不思議に思える
 生命は多様。固定したイメージをつねに打ち破るなにかがある。この花を見ていて、そういう深い考えにひたるまえに、直感的に洗濯バサミを思い出すのは、家事にかかわっている証なのか。共働きは家事分担なしに成り立たない。食事はつくるけれど、洗濯はひとえにカミさんの肩にかかっている。洗濯機はフル稼働。外に干せないので、乾燥機も同様。地球温暖化に逆行・・・。

輪を描く穂2008/06/26

穂


遠くからは、動物の尻尾にように見えました。
なにかの穂ですね。
周囲に同じものが見当たりません。
偶然、茎にひっかかって、伸びることができなくなったのでしょうか。



ひっかからなければ、こういう形なのでしょうね。
輪の形のほうが、チャーミングに思えます。
草にとって不都合でなければ、
丸いヴァージョンもいいのでは。

ブロック塀と石仏と2008/06/26

ブロック塀と石仏がアンマッチングでもいいと思います
 グローバルスタンダードは、たしかに、かっこいいです。ウィンドウが開けば、どこでもインテル入ってイルという世界。技術を誇示して建築される高層マンションやオフィスビル。機能的な個人邸宅。
 しかし、土着の意識に深くしみこんでいて、捨てられずに残るものもあります。わざわざこんなことまでして、残すのだろうとシニカルな気分になることもありました。
 今は・・・・スクラップ・アンド・ビルドされるまちを好みません。それぞれの時代に大切にされていたものに敬意を払い、引継ぎ生かす・・・そういうまちこそ、魅力的だと思うようになりました。



 工場が建設されようとしたとき、そこにあった数体の石仏の始末に困ったのだと思います。こういう解決方法を採ったのですね。
 ブロック塀と石仏は、アンマッチング。しかし、そこになんともいえないユーモアと知恵がある気がします。
 なにも古いままで残さなくてもいいのだ、時代と都合にあわせて残せばいいのだと、これを見ながら思うのです。

呪縛は解けるのか・・・『蟹工船』2008/06/26

『蟹工船』コーナーにて
 『たたかわなければ、なにごともかわらない。たたかえば、かえることができる。それを学びました』・・・TVをつけると『蟹工船』の特集でした。世界中で抗議行動がひろがっていた70年代でさえ、若者がこのことを学ぶのは容易ではありませんでした。ましてや、自己責任という鉄の輪で思考をしばられた世代が、ここに到達することの困難さは、計り知れません。彼らは、”生きさせろ”という限界にたちながら、絶望のなかに沈みゆき、自分を圧殺する相手が認識できないまま、家族や不特定の人々に怒りと殺意を向ける・・・。
 『蟹工船』が、国会での派遣労働の追及と重なるようにして、若い世代の呪縛を解く触媒になろうとしているように思えます。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)