
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
ソウルでもワシントンでも、YES WE CAN! ― 2008/06/10
仕事場で『京都新聞』の記事を読んでいて、感想を書こうと思ったのです。一つは、ソウル市庁前を埋め尽くす「そうそく集会」の記事(ソウル共同)と、もう一つは、東照二氏の米大統領民主党予備選挙の分析記事。
ソウルの事態は、米国産の牛肉輸入問題。これは、日本と同じ事態になっているのです。牛海綿脳症(BSE)の不安がある米産牛肉の規制を解除するかどうかの問題。アメリカの圧力をとるか、国民の健康をとるかがほんとうの争点ですが、日本では、「安い牛丼を食べたい」という声などが意図的にクローズアップされていました。
韓国をゆるがす運動の発端が、中高生だったことは新鮮でした。かも、インターネットでの訴えに応えた過半数が10代だったとか。「勉強しろという前に、安心できる食べ物を用意して」(女子中学生)という声は、とても説得力がありますね。
政府はネットで反論するとともに、教育当局をつうじて生徒に圧力をかけます。『蟹工船』状態ですね。これに政治団体や労働組合が支援をするというのは、これまでもありえたことですが、ネットで知った一般市民の自発的参加がこれだけの規模に運動を広げたのです。記事はとても面白い。
米大統領民主予備選挙では、オバマ氏が激戦を制しました。当初の不利さをどうしてはねのけるころができたのか、東氏は(同氏にかぎらないのですが)、《卓越した『言葉の力』》といいます。
演説中の「I」と「We」の使用頻度などが資料で出されていて演説を知らない人でもわかるようになっていました。しかし、全体の議論は、単純にいえば、選挙の勝敗は言葉のテクニックの問題ということになってしまいます。
たとえ現象的にそうだったとしても、本当の主役は、「変化」(change)という言葉ではなく、韓国同様に市民(国民)の変化を求める動きだと思いました。「I」、つまり政治家ではなく、「We」、つまり国民が変えるのだというメッセージこそキーワードだと思います。
ソウルの事態は、米国産の牛肉輸入問題。これは、日本と同じ事態になっているのです。牛海綿脳症(BSE)の不安がある米産牛肉の規制を解除するかどうかの問題。アメリカの圧力をとるか、国民の健康をとるかがほんとうの争点ですが、日本では、「安い牛丼を食べたい」という声などが意図的にクローズアップされていました。
韓国をゆるがす運動の発端が、中高生だったことは新鮮でした。かも、インターネットでの訴えに応えた過半数が10代だったとか。「勉強しろという前に、安心できる食べ物を用意して」(女子中学生)という声は、とても説得力がありますね。
政府はネットで反論するとともに、教育当局をつうじて生徒に圧力をかけます。『蟹工船』状態ですね。これに政治団体や労働組合が支援をするというのは、これまでもありえたことですが、ネットで知った一般市民の自発的参加がこれだけの規模に運動を広げたのです。記事はとても面白い。
デモにはベビーカーを押す家族連れや恋人同士などさまざまな人が集まる。機動隊と対峙する若者の後ろで、楽器を奏でるグループを囲み合唱が起きる。過去の政治集会と違い、統制がなく明るさがあった。
米大統領民主予備選挙では、オバマ氏が激戦を制しました。当初の不利さをどうしてはねのけるころができたのか、東氏は(同氏にかぎらないのですが)、《卓越した『言葉の力』》といいます。
オバマ氏の「私たち(We)はできる」に対して、クリントン氏は「私(I)はできる」である。オバマ氏は聴衆すべてを巻き込み、共感を盛り上げる言葉(ラポートトーク)の世界を作り上げたのに対し、クリントン氏は自分の能力、実績を前面に出した言葉(リポートトーク)に終始した。これが勝敗を分ける大きな要因になったといえるだろう。
演説中の「I」と「We」の使用頻度などが資料で出されていて演説を知らない人でもわかるようになっていました。しかし、全体の議論は、単純にいえば、選挙の勝敗は言葉のテクニックの問題ということになってしまいます。
たとえ現象的にそうだったとしても、本当の主役は、「変化」(change)という言葉ではなく、韓国同様に市民(国民)の変化を求める動きだと思いました。「I」、つまり政治家ではなく、「We」、つまり国民が変えるのだというメッセージこそキーワードだと思います。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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