お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
アメリカ楓の葉っぱは、これ? ― 2008/02/06
それで・・・アメリカ楓の実はこれかな? ― 2008/02/06
雨の日に椿 ― 2008/02/06
被写体にされるなんて思わないだろうなぁ、これ ― 2008/02/06
風景や花を撮った写真はたくさんあって
ブログでも、見事だなぁと思ってみています。
こういうモノはどうなんでしょうか?
これもつくったヒトがいるのだし、
雨に濡れることを気にして・・・いないかな。
なんとなく撮ってみたくなりました。
こんなんを「感情移入」っていうでしょうか?
ブログでも、見事だなぁと思ってみています。
こういうモノはどうなんでしょうか?
これもつくったヒトがいるのだし、
雨に濡れることを気にして・・・いないかな。
なんとなく撮ってみたくなりました。
こんなんを「感情移入」っていうでしょうか?
いっせいに逃げなくてもいいのに ― 2008/02/06
小川原正道著『西南戦争 西郷隆盛と日本最後の内戦』(中公新書) ― 2008/02/06
この本は、一週間以上前に読みきりました。
西南戦争(1877年)について、少しでもまとまった本を読みたかったので、その目的は達したのですが、むしろ、読んだあとに、いろんな疑問が生まれて、すっきりしません。
それはなにかといわれれば、困るのですが、西南戦争のもつ多様な性格、そして消えていったさまざまな可能性に心を動かされたのです。
私は、それを知りませんでした。
西南戦争(1877年)について、少しでもまとまった本を読みたかったので、その目的は達したのですが、むしろ、読んだあとに、いろんな疑問が生まれて、すっきりしません。
それはなにかといわれれば、困るのですが、西南戦争のもつ多様な性格、そして消えていったさまざまな可能性に心を動かされたのです。
『明治七(1874)年以降、佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と続いた士族反乱は、開化政策のなかで家禄などの特権を失った士族による封建的反動的な行動という印象が強い。だが、その最大かつ最後のものとなったこの西南戦争の内実をあらためて検証すると、多様な性格をもっていたことに気づかされる』と「まえがき」が述べています。
私は、それを知りませんでした。
『薩軍の前線では、特権剥奪に怒る保守派士族とともに、村田新八や小倉処平のような西洋帰りの知識人が指揮を執り、民権運動家も剣を振るっていた。
彼らの目指す「理想」に違いがあったとしても、そこには専制政府の打倒という共通の調べが流れており、何よりも、これを逃しては政府を打倒するチャンスはないという切迫感と、西郷ならば、という期待感が漂っていた。』
『 西郷に何かを託したのは、薩軍に参じた将兵ばかりではない。勝てば官軍という言葉があるように、書かれた歴史は、事件の結果が正統(もしくは必然)であるかのように描かれます。しかし、敗者が追求した方向も、伏流となり、潜在的な契機となって、その後の歴史を動かすということにも、目を向ける必要があると思うのです。
近代日本を代表する啓蒙思想家、福沢諭吉は西郷死去の翌月に「明治十年丁丑公論」と題する文章を書き、西郷を弁護している。』
『よくわかる輸入食品読本』・・・20年近くも前の本ですが ― 2008/02/06
上の写真の本は、全税関労働組合・税関行政研究会『よくわかる輸入食品読本 不安がいっぱい検査の実態と行政のしくみ』(合同出版)です。
出版されたのは、1990年のこと。
1990年代に輸入米とポストハーヴェストが問題になったときに買って読んで、衝撃を受けました。
輸入食品はさらにひろがり、いつのまにか、それなしには生活が成り立たなくなっています。
「これでいいのか!」とだれしも思うはず。
ギョーザ事件の報道も、国民の食料を外国にゆだねていいのかという問題提起が後景におしやられがちです。
「あの生協までが」と古くからの組合員の方からは、驚きの声も聞こえます。
この事件を契機にして、国内の農業を保護するとか、地産地消を推進するとかいう方向に国あげてすすむべきときですね。
「必死に読んだ本なのに・・・もう20年か」とため息をつきました。
出版されたのは、1990年のこと。
1990年代に輸入米とポストハーヴェストが問題になったときに買って読んで、衝撃を受けました。
輸入食品はさらにひろがり、いつのまにか、それなしには生活が成り立たなくなっています。
「これでいいのか!」とだれしも思うはず。
ギョーザ事件の報道も、国民の食料を外国にゆだねていいのかという問題提起が後景におしやられがちです。
「あの生協までが」と古くからの組合員の方からは、驚きの声も聞こえます。
この事件を契機にして、国内の農業を保護するとか、地産地消を推進するとかいう方向に国あげてすすむべきときですね。
「必死に読んだ本なのに・・・もう20年か」とため息をつきました。
澤田章子『一葉伝 樋口夏子の生涯』 ― 2008/02/06
何気なく書棚を見ていて、買う気になった本でした。
拾い読みをして、樋口一葉が士族の末裔であること、日清戦争の時代を生きたことに興味を惹かれたからです。
私は、はずかしながら、お札にもなっている一葉の作品をいまだにひとつも読んでいません。おおよその生涯は知っていましたが、作品を知らずにこの評伝を読みました。そして、強い衝撃をうけました。
拾い読みをして、樋口一葉が士族の末裔であること、日清戦争の時代を生きたことに興味を惹かれたからです。
私は、はずかしながら、お札にもなっている一葉の作品をいまだにひとつも読んでいません。おおよその生涯は知っていましたが、作品を知らずにこの評伝を読みました。そして、強い衝撃をうけました。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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