お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
第8回研究会のお知らせ@旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会 ― 2008/02/22
私自身が会員である「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」が研究会を3月23日に開催します。
以下、「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」のホームページから転載しました。
なお、陸軍墓地に関心のある方は、メールいただければうれしいです。
以下、「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」のホームページから転載しました。
第8回研究会
3月23日(日)午後3時15分ごろより開催します。
奈良と大津の陸軍墓地を勉強します。
この日は、本NPO法人主催のボランティアの方による定例の墓地案内会を予定していますが、これに引き続いて実施いたします。今回は大津陸軍墓地と奈良陸軍墓地について、下記の通り、それぞれ詳しく調査された方の報告を聞きます。
大津陸軍墓地については、すでに見学会も行いましたが、大津で調査の中心になっておられる井上敏一氏が報告してくれます。また、奈良陸軍墓地については、近畿大学の4年生で今年3月卒業される予定の谷口知宏さんが卒業論文として丹念に調査されたものです。谷口さんは本会が昨年夏大阪市立中央図書館内で展示会を行った際にも熱心に協力していただきました。
大津と奈良。いずれも大阪鎮台=第四師団に関係する所で、しかも真田山陸軍墓地とは別の陸軍墓地です。この二つを知ることによって旧真田山陸軍墓地についてもさらに新しい認識が生じることは間違いないものと期待しています。詳しい予定は下記の通りです。ぜひご参加ください。
【第8回ミニ研究会の実施要領】
開催月日と日時 2008年3月23日(日)
午後3時15分ごろより約2時間
会場 旧真田山陸軍墓地内集会所
大阪市天王寺区玉造本町。
JR大阪環状線「玉造駅」下車西へ徒歩5分。
または大阪市営地下鉄・長堀鶴見緑地線「玉造駅」下車、
2番出口より徒歩1分
報告者と報告テーマ
谷口知宏氏(近畿大学)
「奈良陸軍墓地について―墓地の概要と埋葬されている将兵―」
井上敏一氏
「大津陸軍墓地の概要とその保存について」
参加費 300円
予約不要。当日直接お越しください。
なお、陸軍墓地に関心のある方は、メールいただければうれしいです。
橋下知事とマスコミのバトルから見えるもの ― 2008/02/22
これほど、一人の知事の言動がマスコミのネタになっているのは、まれなことです。しかも、就任して一ヶ月もたたない間に、議会などの公式の場ではない言動が原因のほとんどです。
この現象をどう見るべきなのでしょうか?
ひとつは、橋下徹知事が弁護士というよりも、マスコミ出身であることに原因があるのでしょう。つまり、著名人でマスコミが話題にして、視聴者の関心を集めることができる対象ということです。
それは、商業的な値打ちというのでしょうか。
もちろん、橋下知事だけがつくりだしたブームではありません。宮崎知事の東国原知事の誕生もそうですし、大阪市長の平松邦夫さんもそうです。
しかし、同じマスコミ出身の首長さんを話題にするにしても、橋下知事と東国原知事の場合では、トーンがちがいます。
つまり、東国原知事の場合は、好意的ですが、橋下知事の場合は、すべてが好意的とはいえません。手厳しい内容も見受けられます。
橋下知事の言動が刺激的で目立つこと、同時に、すみやかに撤回するなど、いわば劇場的であるからです。
たとえば、財政再建を掲げて、「府債発行ゼロ」を言ったかと思うと、すぐに撤回。マスコミにそこを突かれると、「府民生活に影響を及ぼす事業では発行を認めるが、原則ゼロという認識に変わりはない。府民の理解は得られると思う」「『ゼロ』と言ったのをゼロにできていないが、これを朝令暮改と言うのかどうかは有権者の判断だ」(読売)
「僕は『原則ゼロ』と言っていた。メディアが勝手に『ゼロ、ゼロ』と言っていたわけで、必要なら議会や府民に説明すると当初から言っている」「原則ゼロという号令は組織マネジメントとして必要。収入の範囲で予算を組むという目標達成のための指揮のやり方」(朝日)
また、教育問題でもそうでした。
35人学級について、当初「効果に疑問がある」とっていましたが、この立場を変えて、「40人、50人でも授業は可能と思っていた。現場を見て、少人数で手取り足取り教えることも必要だとわかった」。「あまりの世間知らずに恥ずかしさを感じました」(朝日)「机上の空論だった。反省している」(日経)
事のよしあしを抜きにすれば、人の耳目を集めるという点では、抜群の効果を挙げています。報道すればだれもが見たくなる記事になるのです。
これらのやりとりを観察していて、私が橋下知事について感じることを述べたいと思います。あくまで主観ですので、ご容赦ください。
第一は、毒舌というわれる話っぷりはだれでも知っていることですから、いいとしても、性格の率直さを強く印象づけられました。ある意味、ナイーヴな好青年ということです。
すでに、府債でも、35人学級でもそうですが、方針の転換の際に語っていることは、政治家の言葉というよりは、ナイーヴな青年のものです。 つっこまれることは予想できるのに、「机上の空論」などを口にしています。そこをたたくには気の毒になりますね。
第二に、当たり前のようなことですけれど、橋下氏は、与党とは独立して府政を組み立てる意思があることを感じました。
推薦をうけた政党(自民党と公明党)は、これまでの府政の与党の会派です。いわばこれまでの府政のあり方を決めてきた当事者です。ムダ使い批判がありますが、そういう府政を推進した当の人たちです。その推薦を受けて、大胆に改革をしようというのは、相当な矛盾と困難に直面するはずです。「府債発行ゼロ」というのは、できるはずがないこと与党の人たちは十分知っているはずですし、「35人学級」は前知事が与党の賛成をうけて実施はじめたことですから、それを切り捨てる議論はそれに反する選択です。
老練な与党会派の人たちが、すぐ後ろにいれば、本人もすぐに撤回しなければならないような事態は、身を挺して避けさせるはずです。
しかし、そういうことにはならないで、マスコミの格好のつっこみ材料となりました。
これには、奇異さを感じました。
この隙間はなんなのでしょうか?
第三に、感じたことは、今後にむけての心配です。
率直にいって、橋下氏は、勢いはあっても、現実については認識不足は否めません。大きく掲げては、撤回という事態の繰り返しのなかで、神経の消耗戦になっていくでしょう。
それは、もともと沸点が低い方のようですが、普通人以上のストレスといらだちにつながります。江川紹子氏との「ウェークアップ」での議論を見ていると、橋下氏は「現場を見ないで評論家の意見や本を見て得た知識でしゃべっていた」と率直な反省を口にしています。それでよく立候補したと唖然とすることは別にしても、そこから、突っ込みをいれれば、知事の地位そのものの否定につながります。いわば立場がなくなりますから、逆切れとなるのでしょうね。
むしろ、矛盾と無責任さをつっこむことも大事ですが、橋下氏の正直さ、率直さに期待するぐらいのスタンスが、いまのマスコミには、必要だと思うのです。
35人学級の問題でも、なにがなんでも自己の主張を押し通さなかったこと、できないと思えばただちにそれを反省とともに述べる力があることは、期待できると思いました。ですから、府政の現実をしっかり報道し、それに立ち向かう知事の努力を待とうぐらいがいいのではないでしょうか。
自民と公明という与党会派の方々は、知事とひんぱんに会議をもたれているようです。まったく政治とかかわりのなかった橋下氏を担ぎ出したのは、この方々です。これまでの府政をすすめた中心会派が、それを変えようという橋下氏との間に矛盾がないのでしょうか。
私が心配しているのは、財政再建という名前で、財政破綻に責任のない福祉予算が削られることです。無駄な大型事業のつけを福祉切捨ての絶好のチャンスに変える、しかも、手が汚れていない人気のある人を担いで、府民が気がつかないうちにやりとげようというのならば、矛盾は生まれません。
そうはならない保障があるとすれば、府民の力でしょうね。
「変えてほしい」、「大阪をなんとかしてほしい」という願いは強いのです。それに、現実をしっかり見て、率直に反省できる好青年知事でありつづけられることを願います。
ともかく、私の勝手な感想を書きました。
この現象をどう見るべきなのでしょうか?
ひとつは、橋下徹知事が弁護士というよりも、マスコミ出身であることに原因があるのでしょう。つまり、著名人でマスコミが話題にして、視聴者の関心を集めることができる対象ということです。
それは、商業的な値打ちというのでしょうか。
もちろん、橋下知事だけがつくりだしたブームではありません。宮崎知事の東国原知事の誕生もそうですし、大阪市長の平松邦夫さんもそうです。
しかし、同じマスコミ出身の首長さんを話題にするにしても、橋下知事と東国原知事の場合では、トーンがちがいます。
つまり、東国原知事の場合は、好意的ですが、橋下知事の場合は、すべてが好意的とはいえません。手厳しい内容も見受けられます。
橋下知事の言動が刺激的で目立つこと、同時に、すみやかに撤回するなど、いわば劇場的であるからです。
たとえば、財政再建を掲げて、「府債発行ゼロ」を言ったかと思うと、すぐに撤回。マスコミにそこを突かれると、「府民生活に影響を及ぼす事業では発行を認めるが、原則ゼロという認識に変わりはない。府民の理解は得られると思う」「『ゼロ』と言ったのをゼロにできていないが、これを朝令暮改と言うのかどうかは有権者の判断だ」(読売)
「僕は『原則ゼロ』と言っていた。メディアが勝手に『ゼロ、ゼロ』と言っていたわけで、必要なら議会や府民に説明すると当初から言っている」「原則ゼロという号令は組織マネジメントとして必要。収入の範囲で予算を組むという目標達成のための指揮のやり方」(朝日)
また、教育問題でもそうでした。
35人学級について、当初「効果に疑問がある」とっていましたが、この立場を変えて、「40人、50人でも授業は可能と思っていた。現場を見て、少人数で手取り足取り教えることも必要だとわかった」。「あまりの世間知らずに恥ずかしさを感じました」(朝日)「机上の空論だった。反省している」(日経)
事のよしあしを抜きにすれば、人の耳目を集めるという点では、抜群の効果を挙げています。報道すればだれもが見たくなる記事になるのです。
これらのやりとりを観察していて、私が橋下知事について感じることを述べたいと思います。あくまで主観ですので、ご容赦ください。
第一は、毒舌というわれる話っぷりはだれでも知っていることですから、いいとしても、性格の率直さを強く印象づけられました。ある意味、ナイーヴな好青年ということです。
すでに、府債でも、35人学級でもそうですが、方針の転換の際に語っていることは、政治家の言葉というよりは、ナイーヴな青年のものです。 つっこまれることは予想できるのに、「机上の空論」などを口にしています。そこをたたくには気の毒になりますね。
第二に、当たり前のようなことですけれど、橋下氏は、与党とは独立して府政を組み立てる意思があることを感じました。
推薦をうけた政党(自民党と公明党)は、これまでの府政の与党の会派です。いわばこれまでの府政のあり方を決めてきた当事者です。ムダ使い批判がありますが、そういう府政を推進した当の人たちです。その推薦を受けて、大胆に改革をしようというのは、相当な矛盾と困難に直面するはずです。「府債発行ゼロ」というのは、できるはずがないこと与党の人たちは十分知っているはずですし、「35人学級」は前知事が与党の賛成をうけて実施はじめたことですから、それを切り捨てる議論はそれに反する選択です。
老練な与党会派の人たちが、すぐ後ろにいれば、本人もすぐに撤回しなければならないような事態は、身を挺して避けさせるはずです。
しかし、そういうことにはならないで、マスコミの格好のつっこみ材料となりました。
これには、奇異さを感じました。
この隙間はなんなのでしょうか?
第三に、感じたことは、今後にむけての心配です。
率直にいって、橋下氏は、勢いはあっても、現実については認識不足は否めません。大きく掲げては、撤回という事態の繰り返しのなかで、神経の消耗戦になっていくでしょう。
それは、もともと沸点が低い方のようですが、普通人以上のストレスといらだちにつながります。江川紹子氏との「ウェークアップ」での議論を見ていると、橋下氏は「現場を見ないで評論家の意見や本を見て得た知識でしゃべっていた」と率直な反省を口にしています。それでよく立候補したと唖然とすることは別にしても、そこから、突っ込みをいれれば、知事の地位そのものの否定につながります。いわば立場がなくなりますから、逆切れとなるのでしょうね。
むしろ、矛盾と無責任さをつっこむことも大事ですが、橋下氏の正直さ、率直さに期待するぐらいのスタンスが、いまのマスコミには、必要だと思うのです。
35人学級の問題でも、なにがなんでも自己の主張を押し通さなかったこと、できないと思えばただちにそれを反省とともに述べる力があることは、期待できると思いました。ですから、府政の現実をしっかり報道し、それに立ち向かう知事の努力を待とうぐらいがいいのではないでしょうか。
自民と公明という与党会派の方々は、知事とひんぱんに会議をもたれているようです。まったく政治とかかわりのなかった橋下氏を担ぎ出したのは、この方々です。これまでの府政をすすめた中心会派が、それを変えようという橋下氏との間に矛盾がないのでしょうか。
私が心配しているのは、財政再建という名前で、財政破綻に責任のない福祉予算が削られることです。無駄な大型事業のつけを福祉切捨ての絶好のチャンスに変える、しかも、手が汚れていない人気のある人を担いで、府民が気がつかないうちにやりとげようというのならば、矛盾は生まれません。
そうはならない保障があるとすれば、府民の力でしょうね。
「変えてほしい」、「大阪をなんとかしてほしい」という願いは強いのです。それに、現実をしっかり見て、率直に反省できる好青年知事でありつづけられることを願います。
ともかく、私の勝手な感想を書きました。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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