お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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鮮やかな赤! 南天(かな?)2008/02/11

鮮やかな赤ですね
雪が降ったあと、晴天となりました。
雪が少し残っているなかで、赤が鮮やかですね。

寒い日はネコを抱いていたいけれど・・・2008/02/11

H君に抱かれるムー♂ネコ
寒い日にネコを見ると、
だきあげて温まりたくなりませんか?

ウチには、2匹います。

でも、ウチのネコは抱かれるのが
好きではないのです。
だから、気配でわかるのでしょうか、
危険を感じて、すぐに逃げようとします。

家族の人間のなかで、
H君は、ネコに好かれているので、
素直に抱かせてもらっています。

うらやましい・・・。

ちなみに、ネコはロシア語で
кот(雄ネコ)とкошка(雌ネコ)の二つ。
ネコが入った、ことわざを見ると、
Без кота мышам масленица.
(ネコがいなければ、ねずみにはお祭)
 =鬼のいぬ間に洗濯
К кошке игрушки, а мышке слёзки.
(ネコにとってはお遊びでも、ねずみには涙)
=強いものにとって気晴らしでも弱者には涙の種
格差社会を思わせることわざですねぇ。

コメントいただいた忠さんに2008/02/11

 忠さん、二つ目のコメントをいただいたときに、とても大事な指摘をしていただいたと思いました。
 コメントへのお返事の際に、まだ自分でも迷いがあって、「今後に生かします」としか書けませんでした。
 少し冷静になってから、書こうと思っていたからです。
 橋下知事の対応や、NHKについての見解では、一致できないところがあります。でも、それに反論しようというのではありません。
 私が大切だと考えたのは、つぎのご指摘です。

【その高みに身を置いた仰りよう、自信は、一体、BIN★様、どこから来る物なのでしょうか?小生それが知りとうございます。 】

自分の書いたことを読み返し、コメントも読み直しました。

 そして、ご指摘いただいた点について、反省すべきだし、そのことをお伝えすべきだと思いました。
 
 他にコメントいただいた方々に対しても、失礼をおわびしたいと思います。

 私自身の態度にかかわることですから、コメントではなく、日記として書かせていただきました。
 私の至らぬ点については、今後とも、ご指導よろしくお願いします。
 
BIN★

亀山郁夫『悲劇のロシア ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ』を一気読みしました2008/02/11

 私が、はじめて亀山郁夫さんの名を知ったのは、『ロシア・アヴァンギャルドの世界』(岩波新書)でした。

 この本には、衝撃をうけました。

 以前にも書いたのですが、私は、大阪外国語大学ロシア語科(いまは大阪大学に統合されましたが)に学びました。1970年代のことです。
 当時は、このような研究がありえるとは思っていませんでした。また、私自身、1920年代から30年代のロシア文化についての関心も薄かったと思います。
 小さな岩波新書を読んで、ロシア・アヴァンギャルドについて、ほとんど知らなかったことが恥ずかしく、内容ともども衝撃を受けたのです。

 そうそう、亀山さんは、現在、『カラマーゾフの兄弟』の翻訳がベストセラーになっていますので、でよく知られていますね。

 写真の本は、この2月4日からはじまったNHKのTV講座「知るを楽しむ この人この世界」のテキストで、書店で手に入れることができます。
 午後8時からいままでかかりましたが、一気に読み通しました。

 この叙述は、亀山さんのドストエフスキーやロシア・アヴァンギャルドと個人的なかかわり、つまり自分の内面史を重ねて書かれています。それで、「やっぱり」とか、「なるほど」とか思ったのです。

 私も大学に入ったときは、ドストエフスキーを研究するのだといきまいていました。しかし、途中から、ロシア近代史に変わりました。
 その理由は、対象に飲み込まれて、とても手に負えないと思ったからです。心が奪われていることと研究対象にできることとは別なのです。
 私とはレベルがちがいますが、亀山さんにも、そういう体験があり、ドストエフスキーが本命であっても、ロシア・アヴァンギャルドを迂回することで、そこに迫ることができた・・・私はそう読みましたが・・・ことを書かれていました。

 それをよんで、なぜか、ほっとしたのです。

   私は、クラシック音楽をよく聴きます。ショスタコーヴィッチは、音楽としても、ロシアの文化としても、重なりあうものです。そういえば、昨日、交響曲第四番の放送がありましたね。

 亀山郁夫さんは、自分の道を貫いて、大きな成果を挙げられています。
 私は、仕事からいくと、ほとんどロシア語とかけはなられたところにいます。それでも、このような本を読むと、初心を思いおこします。
 さっきネコのことを書きましたね。ついでに、少しロシア語を使いました。 勉強しなおしたい・・・そんな願望からでした。

 さて、今年は、年初から忙殺されて、なにをするか考える余裕がありませんでした。

 どこかでロシア語を集中的に学びなおすか、ピアノをするか・・・カミさんに言うと、笑われておしまいなので、とても口にできませんね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)