お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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水郷めぐり2010/05/05

水郷めぐり
5月5日は「子どもの日」

夫婦で、この日を大切にし、
二人の子どもを連れて、
いろんな所へ出かけてきました。

しかし、今年はふと、
「もう最後かな」という気がしたのです。

巣立ったあとに、残るのは夫婦。
「お父さん」「お母さん」と
呼び合うことも変になるはず。

「子どもの日」は祝う相手のいない
空疎な一日になるのか。
それとも、自分たちの休日として、
あらためて大切にできるのでしょうか。

暖かい5月の日差しの中に
その答えを求めながら、
水郷を1時間半揺られてきました。



3日と4日は休日のはずでした。
しかし、私は仕事で家を空けました。
その間に体調を壊し、
せっかくの家族の休日も、
少しつらい一日と
なってしまいました。

玄関先の花とカキフライと2010/05/24

玄関先の花が咲き始めました
雨が昨日から降り続いています。
天気予報のとおり。

玄関先に植わっている木に
花が咲き始めました。
それを見つけて
久しぶりにカメラを取り出しました。

撮る工夫さえ忘れてしまい、
合わせたいものにピントが合っていません。
フラッシュをたくと、時間の感覚とずれるのです。
おかまいなしに数枚撮りました。

明るい朝なのに
夜を感じる写真になっています。
それをしげしげと見ていたときに、
村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』(文春新書)の
ある部分を思い出しました。

 僕が言いたいのは、カキフライについて書くことは、自分について書くことと同じなのね。自分とカキフライの間の距離を書くことによって、自分を表現できると思う。

なんの脈絡もありませんが、ブログを書く気になりました。

玄関の花は濃い緑を背景に、青紫から白色まで
多様な色合いで咲いていきます。
それを新鮮な気持ちで、毎日楽しみにしていた。
そんな頃を思い出しました。

新聞には、普天間基地の問題で
裏切りの発表をする鳩山首相がでかでかと載っています。
アメリカ政府と日本の世論の間で、
正統性が砕け散る政権。
アメリカとの関係でも、沖縄との関係でも、
自分を表現できないのだと思いました。

雨に濡れた花2010/05/27

雨に濡れた花
出勤前のわずかな時間
駐車場に向かう途中で花を撮った。

雨に濡れた花は、
重たげに見えるけれど、
私を引きつける魅力がある。

空気は水っぽく
空はどんよりした色。
花びらの色は暗く濁る。

それでも、水滴をはじく姿は、
生き物の証。

「綴り方教室」という映画では、
雨は少年の死にむすびついた。
「きけ、わだつみの声」では、
死を待ついらだちの音に聞こえた。

それは映画の話。

でも雨と花にはいい想い出が
ありそうにないのだけれど。

盛り2010/05/31

門先の花はいまが盛り
門先の花はいまが盛り。
しかし、よく見ていると、
濃い紫が減り、白が増えていく。
やがて花そのものが消えていく。

私は、下る姿を見たくはないと思う。

裏切りを繰り返し、
落ち目が明らかとなったとき、
そこを去るのは自由。
だが、後ろ足で砂をかける
姿は美しいものではないのだ。
すべての責任を残るものたちに
かぶせて。

花は見る人の気持ちにしたがって
散るわけではない。
それがすがすがしく、
同時に、残念に思うことである。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)