![](http://nostalghia.asablo.jp/blog/img/2013/09/03/2be871.jpg)
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
水郷めぐり ― 2010/05/05
5月5日は「子どもの日」
夫婦で、この日を大切にし、
二人の子どもを連れて、
いろんな所へ出かけてきました。
しかし、今年はふと、
「もう最後かな」という気がしたのです。
巣立ったあとに、残るのは夫婦。
「お父さん」「お母さん」と
呼び合うことも変になるはず。
「子どもの日」は祝う相手のいない
空疎な一日になるのか。
それとも、自分たちの休日として、
あらためて大切にできるのでしょうか。
暖かい5月の日差しの中に
その答えを求めながら、
水郷を1時間半揺られてきました。
3日と4日は休日のはずでした。
しかし、私は仕事で家を空けました。
その間に体調を壊し、
せっかくの家族の休日も、
少しつらい一日と
なってしまいました。
夫婦で、この日を大切にし、
二人の子どもを連れて、
いろんな所へ出かけてきました。
しかし、今年はふと、
「もう最後かな」という気がしたのです。
巣立ったあとに、残るのは夫婦。
「お父さん」「お母さん」と
呼び合うことも変になるはず。
「子どもの日」は祝う相手のいない
空疎な一日になるのか。
それとも、自分たちの休日として、
あらためて大切にできるのでしょうか。
暖かい5月の日差しの中に
その答えを求めながら、
水郷を1時間半揺られてきました。
3日と4日は休日のはずでした。
しかし、私は仕事で家を空けました。
その間に体調を壊し、
せっかくの家族の休日も、
少しつらい一日と
なってしまいました。
玄関先の花とカキフライと ― 2010/05/24
雨が昨日から降り続いています。
天気予報のとおり。
玄関先に植わっている木に
花が咲き始めました。
それを見つけて
久しぶりにカメラを取り出しました。
撮る工夫さえ忘れてしまい、
合わせたいものにピントが合っていません。
フラッシュをたくと、時間の感覚とずれるのです。
おかまいなしに数枚撮りました。
明るい朝なのに
夜を感じる写真になっています。
それをしげしげと見ていたときに、
村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』(文春新書)の
ある部分を思い出しました。
なんの脈絡もありませんが、ブログを書く気になりました。
玄関の花は濃い緑を背景に、青紫から白色まで
多様な色合いで咲いていきます。
それを新鮮な気持ちで、毎日楽しみにしていた。
そんな頃を思い出しました。
新聞には、普天間基地の問題で
裏切りの発表をする鳩山首相がでかでかと載っています。
アメリカ政府と日本の世論の間で、
正統性が砕け散る政権。
アメリカとの関係でも、沖縄との関係でも、
自分を表現できないのだと思いました。
天気予報のとおり。
玄関先に植わっている木に
花が咲き始めました。
それを見つけて
久しぶりにカメラを取り出しました。
撮る工夫さえ忘れてしまい、
合わせたいものにピントが合っていません。
フラッシュをたくと、時間の感覚とずれるのです。
おかまいなしに数枚撮りました。
明るい朝なのに
夜を感じる写真になっています。
それをしげしげと見ていたときに、
村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』(文春新書)の
ある部分を思い出しました。
僕が言いたいのは、カキフライについて書くことは、自分について書くことと同じなのね。自分とカキフライの間の距離を書くことによって、自分を表現できると思う。
なんの脈絡もありませんが、ブログを書く気になりました。
玄関の花は濃い緑を背景に、青紫から白色まで
多様な色合いで咲いていきます。
それを新鮮な気持ちで、毎日楽しみにしていた。
そんな頃を思い出しました。
新聞には、普天間基地の問題で
裏切りの発表をする鳩山首相がでかでかと載っています。
アメリカ政府と日本の世論の間で、
正統性が砕け散る政権。
アメリカとの関係でも、沖縄との関係でも、
自分を表現できないのだと思いました。
雨に濡れた花 ― 2010/05/27
盛り ― 2010/05/31
![](http://nostalghia.asablo.jp/blog/img/2010/10/11/13153c.jpg)
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
最近のコメント