お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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カミさんの誕生日2010/08/04

カミさんの誕生ケーキ。ローソクの数は年齢と関係ありません。
カミさんの誕生日。

たまたま息子のK君と大阪まで出かける用事の日。
帰宅途中のケーキ屋さんでケーキを買いました。
名前をしっかり入れてもらい、ローソクの数は控えめに・・・。

「これはなに?」とムーとチー2010/08/08

「この檻はなに?」とムーとチー
柴犬を飼うことになってから、
カミさんは猛勉強、猛準備。
そのエネルギーに圧倒されています。

私の妹に頼んで、ワンコの
ゲージを借りてきました。

予想より小さいらしいですが、頑丈です。

部屋に置くと、たちまちネコくんたちが
興味津々。

なにが来るとも知らないで・・・。
どんな出会いをするのでしょうか。
私も興味津々。

ちなみに上に載っているのがムー。
横に伸び上がっているのがチー。

ログハウスに送り届けるミッション2010/08/14

棚田の近くのログハウス
この日は、ログハウスにИくんを送り届けるミッション。
合宿で使うための下見で、
たった一人で泊まるのだそうです。

И君は、その落ち着きから、
30代かと誤解されやすいのですが、
実は20代をほぼ4分の1残しています。
そのИくん、19歳から20歳にかけて、
大阪から青森まで単独徒歩旅行をしたと言っていました。
その途上で20歳を迎え、たった一人で誕生会をしたと。

私は、遠慮深いのでその理由をききませんでした。

面白い人だねというと、おしゃべり相手のКさんは、

その年代(10代末から20代始めにかけて)って、
突飛なことをしたくなるんじゃないの

と言って笑っています。

心当たりがあるんですね(笑)。

初めてワンコに会いに行く2010/08/15

ワンコの二枚目の写真。耳がたれています。
ワンコを飼うのを決めたのは、私。
7月の中頃、お葬式の日でした。

ブリーダーさんに電話をして、
お願いしました。

実は、私の家は大津市。
ワンコは大分市にいます。
姪の紹介で決めたからです。

お盆に家族がカミさんの里
大分に戻ります。
そこで、ワンコと初対面することになりました。

私は姉妹が二匹いることを知っていました。
家族には伝えていなかったので、
「選んでください」といわれて大困惑。

最初の写真のゴマシバを選びました。

ゴマちゃんは、アカシバの陰でおびえて
なかなか出てこなかったそうです。
なんか仏頂面ですね。

ワンコを車で引き取りにいく2010/08/24

H君に抱かれて引き取られるQoo(ゴマシバ)
お葬式のあとに、49日の法要が待っています。
その少し前に、ワンコをカミさんの里に
一時的に引き取ることにしました。

我が家は大津市。
ワンコは大分市生まれでそこにいます。
カミさんの里は竹田市です。
息子のK君とH君を先発させて、
大分市から竹田市の実家に
一時的にひきとり、そこから
また大津市に運ぶことになったのです。

写真は車のなかで、H君に抱かれているワンコ。
名前は、Qoo=クーです。

Qooは、こうしてまず大分市から
竹田市へ運ばれていきました。

ちょうど生後二ヶ月ですね。
耳がピンと立っています。

ワンコのQoo@竹田市2010/08/25

竹田市の実家に到着したQooちゃん
私たち家族は、10年ぐらい前からネコを飼っています。

最初はメイ♀。
5月5日のこどもの日に、ペットショップの檻の中で
いじめられていたので、ペットショップから引き取ったのです。
まもなく、カミさんが仕事場でムー♂を拾ってきました。
しばらくすると、モー♂まで。

この三匹の時代が続きましたが、
メイは病気で亡くなりました。かわいそうでした。
やっと数は減り、ムーとモーは高齢となりました。

今年になって、カミさんが
仕事場で、小さな小さな仔猫を引き取ってきました。
それが、チー♂です。

また、三匹かと思ったときに、ワンコが登場したのです。

ブーイングは当然ありましたが、
カミさんは生き物に特別の思いがあるようです。
思いというよりは、感性なんでしょうね。
心底かわいいと思える感性が・・・。

それはそうと、ワンコのQooは、大分のブリーダーさんから
竹田市のカミさんの在所に引き取られました。
そこで約10日間を過ごす予定なのです。

息子のK君とH君は、とりあえず在所にいき、
Qooの世話をすることになりました。
カミさんと私は、49日の法要に合わせて
そこに向かう予定です。

写真は、やっと落ち着いたという雰囲気のQoo。
ぬいぐるみのようだと思いました。
もちろん、写真からは臭いも声もしません。
息子たちは、夜啼きとウンチに困ったらしいですけど。

六甲アイランドからフェリーで2010/08/27

六甲アイランドからフェリーにて
義父の49日の法要のために、
カミさんと私は、神戸から大分まで
フェリーで向かいました。

旅行の手はずはいつもカミさん。
フェリーに乗り込んで部屋をきくと、
最上階の特別室でした。
室内には、バスもトイレもあり、
ゆったりしたベットルーム。
テラスまでついています。

お盆過ぎで平日のために、
特別の割引があったとか。

出発のドラが鳴る時刻、
夕闇が迫ります。

法要は哀しい行事ですが、
ワンコに会える楽しみもある旅です。

ワンコの第一印象2010/08/28

Qooと私の初対面
私以外の家族は、新しい家族となるワンコに出会っています。
フェリーに乗って、神戸から大分に向かう私だけが初対面。

大分港には午前6時前に到着。
湯布院などに寄って、ゆっくり竹田市に
向かう予定でしたが、カミさんの意見で変更。
そのまま車でワンコのもとに。
午前8時過ぎに到着。

私の第一印象は、

ちいさいなぁ
毛が固いなぁ
・・・かわいい

でした。

ワンコの側の第一印象?

入れ替わり立ち替わり、カミさんや息子たちが、
Qooの部屋に入り、お世話をしています。

私はとても目立たなかったのだと思います。

私が「飼うっ」て言い出したのになぁ。

流しそうめん2010/08/29

法要のあとに、親戚でお手製の流しそうめんを楽しみました
義父の法要が終わった後、
ひさしぶりに集まった親戚一同で、
宴を張りました。
その第一ラウンドが、流しそうめん。

叔父が自ら竹を切り出し、装置を作りました。
義母がゆでたそうめんを流し込み、
それぞれが、騒ぎながら、すくおうとしました。
うまくいかないので、キャッキャッの騒ぎです。

叔父が手にしている
竹を切り出した容器で食べるとおいしそうですね。

しんみりした雰囲気を切り替えるには、
いい企画です。

しかも、夕方からは、焼き肉大会、
子どもたちの誕生会とつづきます。

ワンコも家族も慣れる時間があってよかった2010/08/29

Qooは2ヶ月。人に比べるととても小さい。
8月の中頃にはじめて面会し、20日過ぎに引き取りました。
ワンコの話です。

そこから約10日間を、
竹田市の義母の家でワンコは過ごしました。
息子たち2人が家事の手伝い方々、
そこにいました。
夏休みが幸いしたのです。

カミさんと私は、後から追いかけて、8月末日に
ワンコをフェリーで大津市まで連れて戻る計画。

約10日間の間、息子たちは
かわいがりながらも、苦労した様子。
ウンチの世話。夜啼き・・・。

そして、いろいろわかったこともあり、
慣らし期間として、よかったと思いました。

人間と比べるとこんなに小さいのに、
信じられないほどの鳴き声!
ゥワオン~、キャゥオン~。

私はのんびり構えていたのですが、
カミさんは、しっかりお勉強して指示をだします。

う~ん、ネコと違って、ワンコは窮屈ですね。
上下関係を教えないと大変だそうですから、
仕方がないのかも知れません。

お腹の上にのせて遊びたいのに
人間を下にみるからダメ。
甘噛みもクセになるからダメ。
・・・なるほど。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)