お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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点滴をつづけるモーに2012/10/19

 モーは牛ではなく、雄の飼い猫の名前です。
 姿形が牛に似ているわけではありません。その姿から名前を付けるとしたら、「トド」です--いいえ、でした。
 腎臓の機能が弱っていて、二年以上、毎日、点滴を続けています。
しかし、この一ヶ月、めっきり体重が減りました。顔や姿も変わってきました。病院に通院していますから、その都度、数値が悪化するし、体重も減ってきます。もっとも太っていたときは、9㎏はありました。それが、いまは、6㎏台となりました。
 モーは小さいときに、カミさんがひろってきたネコです。そのために、わが家にはネコが三匹となったのです。
 最初のネコの話。
 子どもの日に旅行先で、一匹のメスネコを買いました。手のひらに載るような小さな仔猫でした。ペットショップで、おなじゲージにはいっていた大きめのネコから、気の毒なくらいいじめをうけていました。家族4人が見て、義憤から、もらいうけたのです。2000円でした。アメショーとして生まれるはずが、雑種だったので、売り物にならなかったからでしょう。
 いったん飼い始めたら、歯止めがなくなったのでしょう。カミさんは二匹目をひろってきました。
 ムーです。これは、捨て猫でもイケメンのネコでした。
 その次にひろってきたのが、モーでした。
 雄猫ですが、とてもブサイクなネコでした。おまけに、ウィルスに感染していて、先の二匹を守るために、隔離する必要がありました。
 私は飼うことに猛烈に反対しました。モーの味方は、カミさん一人でした。カミさんは、ていねいに世話をしました。
 見るからに人(ネコ)のよさそうなネコでした。
 同時に、私や他の家族の姿を見ると、逃げ出す臆病な性格でもありました。ストレスからでしょうか、洗濯物やふとんにお漏らしをするクセがついてしまいました。布団を捨てるぐらいなら、ネコを捨てるべきだと私はいつも息巻いていました。
 モーのよさがわかるまで、時間がかかりました。
 モーは癒しネコでした。他のネコがしらんぷりでも、モーは近づいてきます。ワンコが来ても、親しくしようとします。
 やっとわかって、大事にしようと思った矢先に、重大な病気に罹っているのがわかりました。それから二年。
 病気が加速していくのがわかります。それが何を意味するのかを、私たち家族は、最初のネコの経験からよくわかっています。
 モーへ。すこしでも、長生きを。

ワンコの手術2012/10/20

 我が家には、柴犬が二匹います。
 一匹は、2歳になる雌のゴマシバ、もう一匹は8カ月になる雄のクロシバです。そのクロシバが今日、ある「手術」を受けました。
 やむをえないとはいえ、悩みながら決断しました。
 夜は仕事場に泊まり込みますから、手術をおえたクロシバと目を合わす機会は明日になります。一週間も室内から一歩も出られないので、ストレスもたまるだろうし、傷跡も痛むと思います。
 私以上に動物思いのカミさんのことを考えると、気が重いのは確かです。
 でも、決断を下したのですから、前向きに。

トーマス・カーライルの名を借りて2012/10/21

 土曜日は、大切な会議の日でした。
 その場で、言い争いではありませんでしたが、カーライル(Thomas Carlyle 1795-1881)の言葉を引き合いにだして、モノを言いました。カーライルは、ゲーテと同時代人であり、日本にも翻訳を通じて、影響を及ぼしたイギリスの歴史家。しかし、もう新刊書を探すことは困難だとWikipediaにありました。
 私が語ったことは、いわば孫引きのようなものでした。
 1980年代の半ばに、旧ソ連の反体制派についてのTV番組で、西欧の経済学者が、カーライルの言葉を引用して、希望を語っていたことが頭に残っていたからです。
 その人は、「リアリストは歴史において勝利し、ロマンチストは敗れる。しかし、歴史を前進させるのは、つねにロマンチストだ」というカーライルの言葉を引用していました。
 リアリストとロマンチスト--現実主義者と夢想家。
 一人の人格に両者は存在していますが、最終的な判断を、どちらの立場で下すか、現実を固定的に考え安定した結果を残すのか、それとも、未来の可能性を信じ、それに賭けるのか。

 今の日本社会は、大事な危機、つまり分岐点にあります。
 右翼的反動はかつてなく強まっています。これを放置すれば、憲法改悪をはじめ、悪夢のような未来が待っている気がします。
 それに対抗するかのように、普通の人たちの「参加」が強まっています。原発ゼロをめざす運動はその象徴。
 中間の回答がないほど先鋭化した対立となっています。
 1930年代を想起する人がいるのは、偶然ではないと思います。
 私たちは、日本の歴史上まれな時期に立ち会っていて、背伸びしてでも立ち向かうべきだという思いを、カーライルの名を借りて語りました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)