お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

2005年5月。見えますⅡ。2008/01/25

前に紹介した同じマンションによる景観破壊について
(マンション購入者の方、申し訳ありません。
 みなさんに罪があるわけではないのですが)

あたか飯店の少し右手の方向でも、
比較できる写真を見つけました。

これは、「見えます」の方です。

●見えます、見えません

前回のものはこれです。

2005年5月。見えます。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/13/2507476
2007年7月。見えません。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/13/2507507

2007年9月。見えませんⅡ。2008/01/25

●見えます、見えませんシリーズ その2

前に紹介した同じマンションによる景観破壊について
(マンション購入者の方、申し訳ありません。
 みなさんに罪があるわけではないのですが)

あたか飯店の少し右手の方向でも、
比較できる写真を見つけました。

これは、「見えません」の方です。

●見えます、見えませんシリーズ その1

前回のものはこれです。

2005年5月。見えます。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/13/2507476
2007年7月。見えません。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/13/2507507

マンションの全体はこれ2008/01/25

 手前に、明日都浜大津とマンションの複合ビル(このビルも景観を壊しているといえますが)があり、道路をはさんで、「あたか飯店」と一般住宅(お店も含む)があります。
 そして、問題のマンション(購入者の方の責任ではありません)があります。これが全体の姿。
 琵琶湖は、かろうじて、右手に見えています。

明日都浜大津の4階窓から湖岸側を見ると2008/01/25

明日都浜大津は、現在、社会福祉協議会とかふれあいセンターがあるビルです。その4階の窓からは、琵琶湖が見えて、会議の合間にやすらぐ空間でした。
 いま、その窓から見えるのは・・・。

にらめっこみたいですね2008/01/25

美しい琵琶湖の景観が見える浜大津港。
そこに、ふたつのビルが湖岸に平行に建ち、
背の高さを競っているように見えます。

右手が琵琶湖側です。

左手のマンションは、さらに高いですね。
だから、新しいマンションより高い階は、
琵琶湖が見えるかも知れません。
同じ高さではとても無理ですね。

湖岸にこういう高層ビルは
ふさわしいものなのでしょうか。
景観は、個人の財産ではないはず。

私の近所の方とお話をしていたときに、
新しいマンションビルが話題になりました。
その方は、「屏風のように」と
おっしゃっていました。
だれが見ても、そう感じるんですねぇ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)