お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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心変わりの夏2008/07/05

ジーンズを買いに行きました。ウエストがあわなくなったからです。いままで買い替えパターンは、より大きいサイズへ。今回は逆。毎日歩いていることが効果を生んだのでしょうか、それとも食事療法。6センチ短いサイズになりました。メタボ対策もばっちりですね。
夏に歩くと背中いっぱいに汗をかいたのに、今年は涼しい顔。
子どもたちもカミさんもクーラー嫌い。そのなかで私だけが異端(自分の部屋だけクーラーをかけていました)でしたが、いまや同人種。
夏の微妙な暑さの変化や風を感じてすごせることがうれしい。

杉浦日向子 『百物語』(新潮コミック)2008/07/05

杉浦日向子『百物語』を手に入れました(嬉)
ファンになった杉浦日向子の『百物語』。新刊本では手に入らなかったのに、ふらりと入った古本屋で見つけた。ある用事でまちを歩き回っていたときのこと。ついぞ、財布を放したことはなかったのに、手ぶらであった。事情を店主にいうと、取って返すまで待っていてくれるとのこと。午後七時までわずかであったけれど、急いで自宅からお店に戻ってみると、なんと!!・・・杉浦日向子の『百物語』はこんな風である。

古屋 信男さんの「白」(信楽焼)2008/07/06

古屋 信男さんの「白」(信楽焼)
大戸川を下っていけば、信楽に出る。
信楽は陶器のまち。
あるお店の品が気に入って、日常的に使う
おわんとか、カップ(上の写真)を買ってきた。
そして、しばらく喜んで使っていた。

だが、お店の人に言わせると
「えてしてそういうもの」らしいけれど、
二週間もたたないうちに
6つのうち2つを同時に割ってしまった。
犯人は私。

せっかく気分よく使っていたので、
がっかりも大きい。
家族4人おそろいなので、なくなると
さびしいというので、短い期間に二度もお店へ
通うことになった。

私達をお店の方がよく覚えていて、
前回と同じ割引をしてもらえた。
上の写真は割れずにすんだもの。
それらはすべて「白」にこだわる
古屋信男さんの作品である。

気に入ったわけは、このネコ?2008/07/07

気に入ったわけは、このネコ
二度もたずねていったお店の名前は、「清庵」。



信楽を車で走っていて、
いきなりカミさんが
「ここに入ろう」と止めたお店。
入ってすぐに、このネコと出会う。
店にならぶ焼き物は、白が基調。
抽象的で簡素な塗り。
私は、たちまち気に入ったのである。

天窓発見2008/07/07

天窓のあるうち
 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター・センター長(京都大学名誉教授)の内藤正明氏のふっきれた発言(地球温暖化ストップ・シンポ)の面白さが、ずっと私のなかで尾を引いています。
 そういえば、この日のことについて、知人のKさんは、批判的な話をしていました。「夢のような話であって、どう実現するのかというプロセスがない」と。
 それはそうなんです。地球温暖化を止めるために、産業革命以前の時代にもどすとよいという結論は正解かも知れませんが、それを認めることと、実現することの間には、巨大な溝があるのです。
 それほど過激なビジョンでなくても、抵抗する人たちがいるわけですから、簡単ではありません。そういうプロセスの困難さを知っている人たちにとっては、ある意味無責任と思える発言でした。
 だれが実現するのか・・・内藤先生のお話のなかから、聞き取れるのは、英明な君主か統治者に期待するってことでしょうか。
 でも私にはそこは重要なことではありませんでした。
 自分のなかにある大量消費型文明をあきらめきらないモヤモヤした思いにトドメをさしていただいた気がしたのです。
 そういえば、最近見たり読んだりすることは、近代化以前のことが多かったのです。
ビゴーの日本素描集、杉浦日向子の『百日紅』などの作品、一青窈の『大家(ダーチャ)』などに触れるうちに、少なくとも、高度成長時代以前、もっといえば産業革命以前の時代のよさを素直に認める気分になっています。

だから、きっと目に映ったのだと思います。
いつも見慣れた他人の家にある「天窓」を

見上げながら・・・思い出したのです。
小学校高学年のころまで、ずっと夏休みは岐阜で過ごしました。岐阜の母方の実家は、旧い建物で、白熱灯しかない暗い部屋でした。しかし、寝床をしいた部屋には天窓がありました。暗い部屋の中でおびえながら、明るい空をみつめることができる場所・・・天窓は、不思議な別世界への窓に思えたのです。

盛夏とお弁当2008/07/08

暑さにまけそうになって見上げれば鮮やかな花でした
「夏の暑さが気にならなくなった」と書いた翌日から、高い湿度と30度を超える暑さがまちを襲っています。ネコも涼しい場所を求めて、さまよっているし、バテ気味。食欲も落ちています。
 私は、クーラーのスイッチに手を伸ばさないで、我慢我慢。窓からの風を杖にして、涼しくなるまで、部屋で過ごしています。
   カミさんは、天然元気人間なんですが、10時すぎるといきなり電池切れ。仕事だけではなく、早朝のお弁当つくりが相当の負担になっているのです。
 子どもたちが中学生のころは、私もお弁当をつくっていました。
 カミさんも変則勤務だったので、ダメな日は、私の担当。今から思うと、ひどいお弁当でした。冷凍食品で、お弁当用のプチおかずがあります。それを、生協で頼んでおいて、電子レンジで温めて、つめていたのです。輸入食品のホウレンソウに残留農薬問題がおきたりして、その方法はやめることにしました。それからは、手作りの品で5品ぐらいでつくっていましたが、あまり評判がよくなかったらしい。
 「らしい」というのは、子どもたちが私に直接文句をいくことは一回もなかったからです。カミさんにたまにきかれると「お父さんのお弁当はすきすき・・・」(つまり、表面的には、全部詰まっているのですが、お昼にあけるときには、片方によっていて半分ぐらいの量。つめ方がわるいのです。)とか、「前の日、そのままだった」らしい。
 「前の日そのまま」というのは、残飯を洗って、新しいお弁当をつくるのではなく、作ったと勘違いして、洗わないままのお弁当をそのまま渡してしまったのです。
 H君は、フタをあけたとたん、残飯を見ることに。いきなりフタを閉じたと言っていました。やせ我慢をして、食べたふりをしていたんでしょうか。それとも、ベソをかいていたのでしょうか。H君は、合理主義者ですから、さっさとパンを買ったのかも知れません。
 カミさんが現場を離れ、普通の勤務になってからは、一手にお弁当づくりを引き受けています。私の食生活をなんとかしようというのがはじまりでした。お互いの勤務の都合で、わたしが夕食をつくることはありますが、カミさんほど安全性や栄養価に知恵を使わないので、評判はよくありません。味が濃いし、塩分が多い・・・。こういう理由から、お弁当をいくら眠たくても、私なんかにまかせられないのです。申し訳ないけれど、私はそれに甘えることに。
 母となって母を発見するってことがありますね。カミさんのお弁当づくりんは、家族への思いだけではないエネルギーの源泉があるように思うのです。
 ところで、盛夏。
 H君は、扇風機を横において、普通に眠っている様子。K君は、小学校以来の二段ベットの上なので、暑さがこたえるのか、3階から1階へ深夜に降りていって、寝ています。
 みなさんも、体調管理はくれぐれも。

ヤマゴボウ どれが実やら花とやら2008/07/08

ヤマゴボウ どれが実やら花とやら
去年とおなじ歩道にヤマゴボウが実をつけようとしている。実は、濃い赤紫。まだ、その色ではない。花は実より先に咲く。真っ白な茎に真っ白な花。柱頭は、緑。涼しげな気がして、カメラを向けた。
 昨日、湖西道路を使って大津市と高島市を往復する。ちょうど琵琶湖バレーの入口あたり、高架になっている道路の両側に木が茂り、濃いピンクや白の花がたくさん咲いている。それがとても美しいのだけれど、一人きりのドライブだから、写真を撮ることはおろか、観察さえできない。
 名前を知りたいと思う
 事務所に戻ると、高島市選挙管理委員会が記者会見をして、市長選挙・市議会議員選挙の日程を発表したというファックスが入っていた。2009年1月18日告示、25日投票だという。目のなかを追坂峠を駆け抜ける吹雪がよぎる。しかし、部屋の暑さのなかで吹雪はたちまち溶けてゆき、夏の日差しだけが残る。

「和ろうそく」は風に強い2008/07/08

和蝋燭(高島市)のサンプル
 「地場産業をどう思うのか」と聞かれたら、たいていの方は「大切だ」と答えると思います。言葉を継げば「守り、振興すべきだ」と。
この答えにウソはないのですが、「じゃあ、日常生活ではどうですか(振興のために何かしていますか)」と聞かれたら、困惑することになります。信条と個人の日常生活は別でいいとは思いません。でも、「温暖化防止をしたいのなら、車をやめなさい、さもなければハイブリッドにしなさい」といわれたとき、ハイといえないのも事実です。
 「バイブリッドがいいって、琵琶湖研究所のKさんがいっていたんだけれど・・・」と車を買い換えたいといっていたカミさんに打診しても、さらりと次の話題にふられてしましました。
 偽装や裏切りが報道されつづけているおかげで、人の言葉は軽くなり、不信をもって聴けといわんばかりの報道さえあります。それでも「もはや信じられるものがない」という表現は、悪の追認でしかありません。怒るべきところは最後まで怒りきらないとだめであって、木鐸は鳴り響いてことの値打ちなのです。
 私は、むしろ偽りは淘汰されていくと思うのです。短期的には「悪貨が良貨を駆逐する」が、長期的には「良貨が悪貨を駆逐する」と。
 伝統文化もそうです。人の世の長い営みで洗練されてきた文化は、必ず残ると信じたい。弱肉強食、大量生産大量消費、すべてがスタンダード化された商品社会にはない良さがあると、頭では考えているのです。
 6月29日、高島市のある集会で、扇骨・扇子や和ろうそくなどの地場産業の方が次々立ち上がられて、「振興を」と訴えられました。ともに、自分達の息子達が後継者として戻ってきてくれたという喜びの報告と、「この子たちがなんとかやめずに続けられるように」という切実な願いでした。
 それを受け止める立場となった旧知の穀田恵二(衆院議員)さんが、突然「自分がなぜいろんな場で着物を着るのか」という”告白”をはじめました。
それは私にとっても唐突でしたが、そういう形でしか伝えられないものを伝えていたのです。早口だったのですべてを思い出せませんが、
・・・着物は捨てるところがないすぐれたものです。太ってもやせても、背が高くても低くても着こなすことができ、世代を超えて親父のものを息子が着ることができる。ボロボロになったら、座布団の包みにすることができる」
等など。
 ”後期高齢者医療制度を廃止する”という信条を貫くことは、政治家として大事なことです。それとともに、庶民の生活への思いやりと自分でできるささやかな努力をすることも大事なことだと私は思うのです。この後者の点で、「いい話を聞いた!」って思ったのです。
 私も、カミさんから、「あなたは言うだけ」と非難されることはしばしばです。「火災警報器をいつつけてくれるの」(先日の休日につけるつもりだったのに)。ですから、かっこいいことばかりを言うつもりはありません。地場産業は守りたいと思っていても、個人生活では「なにをどうしたら」と迷っている間に、不誠実なことになってしまいます。この集まりに出かけたおかげで、やれることからしようと思ったのです。
 ところで、「和蝋燭は、風に強い」(下の引用にあります)らしいのです。それって、頼もしいじゃないですか。現物を、道の駅に出かけて見てみました(上の写真)が、そのまま飾っておいても美しい。
 ハイブリット車には、すぐ手がでません。必要性は・・・あまり感じない生活をしていますが、和ろうそくなら、無理なく買うことができます。地場産業を守っている方の役にたてるし、工夫ひとつで自分の生活も豊かにできるはずです。そして、なにより信条を日常生活で生かすことができますから。

財団法人 高島地域地場産業振興センターには、高島市の地場産業が紹介されています。和ろうそくについては、直接お話も聞きましたが、つぎの文章がいいと思いました。
今、本物の灯りを追及するために、 最高の原料といわれる櫨(ハゼ) を求めて各地にわずかに残る産地を回り、こだわりの和ろうそくに仕上げたのが櫨蝋燭(ハゼロウソク)です。環境に悪影響を与えない100%純粋の自然の植物を原料にした蝋燭は、風に強く、長い時間美しくゆらめき続けます。現代の照明からは想像もつかないような 「温かみ」と「癒し」 を心に映してくれるのです。こんな心とふれあえる灯りこそが日々求めてやまない “本物の灯り” そのものなのです。

鶴見俊輔 『漫画の戦後思想』(文芸春秋 1973年)2008/07/09

鶴見俊輔 『漫画の戦後思想』(文芸春秋 1973年)
古本屋さんで買って、さっき読み終わりました。
出たのは、1973年ですから、もう40年以上前の本です。
鶴見さんも漫画が好きだったんですね。ほっとしました。
「1 はじめに」は総論。
短い小ですけれど、漫画の起源をグローバル的に触れていて、最近読んだ清水勲さんの本と重なる重さをもっています。
そうそう、つぎのような表現はいかにも鶴見さんらしいと思いました。

からだのこるところがちがうように、心のこるところも人によってちがう。自分の精神のもっともこりやすいところに適した体操がある。自分の好きな漫画家とは、自分の精神に生じるこわばりを、その漫画家にしかできない仕方でやわらげる人だ。

取り上げられている作家は、「サザエさん」の長谷川町子以外すべて男性で、現在では古典的な地位をえている作家ばかり。手塚治虫白戸三平水木しげるつげ義春
 少女漫画のジャンルから作家が登場しないのは、鶴見さんの守備範囲もあるでしょうけれど、執筆年代の制約が大だと思われます。
 もし私が出版当時に読めば、きっと機械的に反発したであろう箇所もありました。それに、鶴見さんが書いた当時、私は単なるマンガ少年。批判的に読んだり、作家と作品のかかわりなんて考えもしませんでした。あらためて、時代の空気も知り、記憶と重ねて、「そうだったんだ!」と懐かしく思ったり、目からウロコが落ちたりして、手を止めることがしばしばでした。

 いまは8人になってしまいましたが、鶴見俊輔さんは「九条の会」の呼びかけ人のお一人。ニ三年前には、(いまは大津市)志賀町で講演をおききしました。
 そういうご縁でもありますから、私からのメッセージを書いて見ます。読んでいただけるかどうかは別にして。

 敬愛する鶴見俊輔さん、
あなたの仕事に触れて、心から共感できたことをうれしく思いました。
あなたは、九条の会の発足記念講演会のなかで、憲法を守れという思い以外に、「私は敗者の立場にたとうと思ってきました」とおっしゃいました。
 「憲法を守ろうという運動が負けるって思っているのかな?」なとど、野暮なつっこみを入れるつもりではありません。
 あなたは、戦争中にアメリカ留学していて、敗戦濃厚の日本に帰国するかどうかの選択に立ち会いました。そのとき、死が待っているかもしれないのに、帰国を選ばれました。そのときの思いをこの言葉で表現されましたね。私は、あなたの生きた文脈のなかで、その言葉をかみしめ、「九条の会」をつくられたときのお気持ちを理解しました。
 それから数年、九条を選びなおそうという人のつながりはかつてなく広がりました。あなたの憲法への帰国の決意が人を動かしたのです。
 憲法改悪の企てがなくなるその日まで、元気でおられることをお祈りします。

雨上がりの散歩で2008/07/10

雨上がりの散歩で白い花を見つける
二日前の日差しとはちがって、
雨上がりの涼やかさが心地よい。
周りをゆっくり見渡しながら湖岸を歩く。
春にいっせいにユキヤナギが咲く用水路の道。
今朝初めて、ツバキのような白い花が
咲いているのに気がつく。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)