お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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切り替わるきっかけ2011/05/08

突然、ブログが途切れるとき
それは、仕事で過度の集中をしているとき。

1月もそうでしたが、2月と
3月と4月は、全然書く気になれませんでした。

区切りがついてから
もう二週間が経とうとしているのに、
戻れずにいました。

今日、あるタレントの映像を見て
大笑いしました。
東日本大震災への救援がテーマだったのにです。

それで、ふっきれて
ブログを再開。



空白を埋める記事も
書いてこうと思います。

休日の楽しみは「ドッグラン」2011/05/10

ドッグランにて
 わが家は、ヒト4、ネコ3、ワンコ1という構成。
 ネコやワンコはずっと家にいますが、ヒトの方は、仕事や大学やバイトのために、帰宅時間がバラバラの生活です。たまに深夜に同じ時間に帰宅する場合があります。そこで、にぎやかに夕食。そのにぎわいのせいか、ネコも全員集合、ワンコ(もともと居間に住まいがある)とあわせて、8哺乳類家族が勢ぞろい。
 騒ぎすぎでお隣が迷惑したかも知れません。

 家族が休日を過ごすのは、ドッグラン。もしくは、ワンコのための教室。シバのクーが絆の役割を果たしています。

 上の写真は、ドッグランで、大型犬(シベリアンハスキー?)と遊ぶクーです。大型犬が好きで、自分から挑発して、逃げ回って楽しんでいる様子です。

それにつけても、大震災で取り残され、亡くなった動物たちには心が痛みます。飼い主さんたちの思いはどれほどつらかったでしょう。

大江健三郎 『遅れてきた青年』(1960~61)2011/05/11

著者の大江健三郎氏は、文庫本化するときに
「《遅れてきた青年》とぼく自身」という文章を寄せていました。

『いま1970年代の青年にむけて、
この文庫版を刊行しようとしながら、
ぼくが新しく意識するのは、
かれらの想像力の前面に、
1945年夏の少年が立つのみならず、
1960年の、ひとりの作家としてのぼくもまた、
そこに証人のように喚問される、
という感覚にほかならない。』

私がこの小説をはじめて読んだのは、
1970年代のことでした。
肌に粘り着くような文章は、
意気揚々と社会に向かおうとしていた私には
わずらわしく、嫌悪感さえ覚えるほどでした。

1945年は、もはや遠い時代になっていたのです。

私がいま手にとっている文庫本は、
茶色に焼けていて、しかも、細かい字がびっしりです。
敗戦と同じように、大震災も、
大きな傷跡と転機をもたらす「大洪水」。
それがこの本を再び手に取らせた理由です。

TIME TO LOVE(TTL)2011/05/22

K-POP

発表されてやがて2年の「TIME TO LOVE」(TTL)
TTLとTTL2がありますね。
アップテンポで、passionateな2より
naiveな1の方が気に入っています。
ラップのバックに流れるメロディが美しい・・・。

T-ARAとSUPERNOVAのコラボ
ライヴ映像の方が、SEXYでスリリング。



TTL LISTEN2

現大津市域の「戦時事績」2011/05/23

大津市と滋賀郡の「戦時事績」(日露戦争)
 昨年12月から半年近くのブランクがありますから、戦争の痕跡をたどる作業に戻るのは容易ではありません。本業に忙殺され、東日本大震災の衝撃から、根気強い作業にまだ没頭できずにいます。
 記事を継続的に読んでいただいていた方々には、申し訳ありませんでした。
 2007年の夏から始めた手当たり次第の探索の作業でしたが、2010年の夏には、各市町村の「志」や「史」をもとに戦争の遺跡を探すようになりました。八代さんの協力で思った以上に成果が得られました。
  しかし、「郡志」に記述のない墓碑などが見つかったために、より根本的な資料を活用したいと思うようになりました。そして、その存在を知ったのが、日露戦争の「戦時事績」でした。
 県庁の資料室に公開を申し込み、写真に撮りました。それをようやく今から、本格的に活用しようと思います。
 現大津市の地域は、日露戦争の時代には、大津市といくつかの町村に分かれていました。「戦時事績」が編まれているのは、その単位においてです。  それらは、ひとまとまりの綴じになっていました。その綴じられた順番からいくと、以下のとおりです
 1.大津市(旧大津市)
 2.滋賀郡 石山村
 3.滋賀郡 膳所町
 4.滋賀郡 滋賀村
 5.滋賀郡 坂本村
 6.滋賀郡 下阪本村
 7.滋賀郡 雄琴村
 8.滋賀郡 仰木村
 9.滋賀郡 堅田村
10.滋賀郡 真野村
11.滋賀郡 伊香立村
12.滋賀郡 葛川村
13.滋賀郡 和迩村
14.滋賀郡 木戸村
15.滋賀郡 小松村

 ここから、探索を再出発させます。

5月の琵琶湖(南湖)2011/05/24

5月の琵琶湖(南湖)
琵琶湖は中央のくびれで北湖と南湖に分かれる。
北湖は平均水深で40メートル。
南湖は4メートル。
面積は前者が後者の10倍。
つまり、琵琶湖の水の99%は北湖にある。


南湖の湖面に釣り船が見える。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)