お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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亀山郁夫『悲劇のロシア ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ』を一気読みしました2008/02/11

 私が、はじめて亀山郁夫さんの名を知ったのは、『ロシア・アヴァンギャルドの世界』(岩波新書)でした。

 この本には、衝撃をうけました。

 以前にも書いたのですが、私は、大阪外国語大学ロシア語科(いまは大阪大学に統合されましたが)に学びました。1970年代のことです。
 当時は、このような研究がありえるとは思っていませんでした。また、私自身、1920年代から30年代のロシア文化についての関心も薄かったと思います。
 小さな岩波新書を読んで、ロシア・アヴァンギャルドについて、ほとんど知らなかったことが恥ずかしく、内容ともども衝撃を受けたのです。

 そうそう、亀山さんは、現在、『カラマーゾフの兄弟』の翻訳がベストセラーになっていますので、でよく知られていますね。

 写真の本は、この2月4日からはじまったNHKのTV講座「知るを楽しむ この人この世界」のテキストで、書店で手に入れることができます。
 午後8時からいままでかかりましたが、一気に読み通しました。

 この叙述は、亀山さんのドストエフスキーやロシア・アヴァンギャルドと個人的なかかわり、つまり自分の内面史を重ねて書かれています。それで、「やっぱり」とか、「なるほど」とか思ったのです。

 私も大学に入ったときは、ドストエフスキーを研究するのだといきまいていました。しかし、途中から、ロシア近代史に変わりました。
 その理由は、対象に飲み込まれて、とても手に負えないと思ったからです。心が奪われていることと研究対象にできることとは別なのです。
 私とはレベルがちがいますが、亀山さんにも、そういう体験があり、ドストエフスキーが本命であっても、ロシア・アヴァンギャルドを迂回することで、そこに迫ることができた・・・私はそう読みましたが・・・ことを書かれていました。

 それをよんで、なぜか、ほっとしたのです。

   私は、クラシック音楽をよく聴きます。ショスタコーヴィッチは、音楽としても、ロシアの文化としても、重なりあうものです。そういえば、昨日、交響曲第四番の放送がありましたね。

 亀山郁夫さんは、自分の道を貫いて、大きな成果を挙げられています。
 私は、仕事からいくと、ほとんどロシア語とかけはなられたところにいます。それでも、このような本を読むと、初心を思いおこします。
 さっきネコのことを書きましたね。ついでに、少しロシア語を使いました。 勉強しなおしたい・・・そんな願望からでした。

 さて、今年は、年初から忙殺されて、なにをするか考える余裕がありませんでした。

 どこかでロシア語を集中的に学びなおすか、ピアノをするか・・・カミさんに言うと、笑われておしまいなので、とても口にできませんね。

コメント

_ 木村道夫 ― 2008年07月10日 00時35分26秒

本文直前の写真で、「ベートーヴェンの弦楽四重奏のリハーサルを行う、晩年のショスタjコービッチ」とはひどい。正しくは「ベートーヴェン弦楽四重奏団のリハーサルを行う、晩年のショスタjコービッチ」であるべきです。この弦楽四重奏団はショスタjコービッチの作品のいくつかを初演しました。

_ BIN★→木村道夫さん ― 2008年07月10日 07時34分17秒

NHKのテキストのことですね。
いま確かめました。
おっしゃるとおりです。ベートーヴェン四重奏団の存在を知らない方が勝手に注をつけたのでしょうね。亀山さんが間違うとは思いたくないし、たぶん、見落としだと思います。
ショスタコーヴィッチと特別な関係にあるベートーヴェン四重奏団だけに、CDを2枚もっています。ショスタコーヴィッチの四重奏曲とその名前のとおりベートーヴェンの四重奏曲だったと思います。
コメントありがとうございました。
NHKの方にも、知らせておく必要がありますね。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)