
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
日露戦争で亡くなった輜重輸卒の墓碑@北小松 ― 2009/09/07
「日米合同演習反対 10/3 あいば野集会」 ― 2009/09/07
あいば野平和運動連絡会の事務局長のHさんから、文書をいただきましたので、紹介します。
滋賀県の高島市にある「あいば野演習場」で、10月上旬から下旬にかけて、アメリカ陸軍第42歩兵師団第1-69歩兵大隊と陸上自衛隊第7普通科連隊(福知山)が参加する「日米合同演習」が実施されるそうです。
あいば野での日米合同演習は、今回が10回目になります。
抗議集会は、10月3日(土)午後2時から4時まで。集合場所は、高島市今津町の「住吉公園」。
あいば野平和運動連絡会から、高島市に「あいば野演習場における日米合同演習に反対する請願書」が出されます。その文面も紹介しておきます。
滋賀県の高島市にある「あいば野演習場」で、10月上旬から下旬にかけて、アメリカ陸軍第42歩兵師団第1-69歩兵大隊と陸上自衛隊第7普通科連隊(福知山)が参加する「日米合同演習」が実施されるそうです。
あいば野での日米合同演習は、今回が10回目になります。
抗議集会は、10月3日(土)午後2時から4時まで。集合場所は、高島市今津町の「住吉公園」。
あいば野平和運動連絡会から、高島市に「あいば野演習場における日米合同演習に反対する請願書」が出されます。その文面も紹介しておきます。
あいば野演習場における日米合同演習に反対する請願書
高島市議会議長 渡邉近治 様
請願の趣旨
陸上自衛隊幕僚監部はさる7月17日、「米陸軍と中部方面隊の日米共同実働訓練を、10月上旬から下旬に、滋賀県あいば野演習場および今津駐屯地で実施する」旨、発表しました。
しかし、この演習は、自衛隊の海外派兵に向けて、「実戦経験豊かな」米軍から、自衛隊が「人殺し」の訓練を受けるものです。
いま、海賊対策を名目にソマリア沖などへの自衛隊の派兵が行われていますが、このような「個別の派兵法では間にあわない」として『海外派兵恒久法』の制定が画策されています。
また日常の演習内容も、専守防衛のための訓練から、海外で戦争するための訓練に変化し、あいば野においても、海外派兵の中核部隊として創設された「中央即応隊」との共同訓練が昨年9月全国ではじめて実施され、増設された「市街地訓練所(都市型戦闘訓練施設)」では、中部方面隊管内から年間数千人が来演し、「人殺し」の訓練を受けています。今回の日米合同演習は、これら日常訓練の集大成として行われるもので、自衛隊海外派兵を先取りする憲法違反の危険な演習です。
今回参加する部隊は、自衛隊は第3師団第7普通科連隊(京都府福知山市)、米陸軍は第42歩兵師団第1-69歩兵大隊(ニューヨーク州兵)で、あいば野における日米合同演習は、昨年12月に続いて、1986年以来10回目になります。
今後もあいば野に米軍が来ることが続けば、在沖縄海兵隊の「本土移転訓練」が年1回程度実施されている王城寺原演習場(宮城県)や日出生台演習場(大分県)などのように、あいば野に米軍専用の宿泊施設や食堂が建設される恐れがあり、米軍基地周辺で日常化している「米軍犯罪」が高島市内でおこる可能性も生まれ、高島市の発展にとって大きな障害になります。
ついては、上記の趣旨をふまえて、貴議会が下記事項を決議し、関係省庁へ意見書を提出されるよう請願します。
請願事項 あいば野演習場における日米合同演習に反対すること

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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