
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
『近江人物志』(滋賀縣教育會編纂:大正六年一月) ― 2009/09/20
『大津市志』(明治四十四年)の「戦病死者略傳」 ― 2009/09/20
戦前の自治体の公史には、戦病死者の名簿もしくは「略伝」がついています。明治四十四年の『大津市志』がそうです。下巻の「第十一章 人物志」のなかに、「戦病死者略傳」として。この種の記述のうち詳細で興味深いのは、日野町が出した『近江日野町志』です。出征の行事から葬式、凱旋、遺族への手当てなど費用も書き込まれています。
戦死が名誉とされ、同時に公の死ですから、その偉業を記録するという意味で書き込んだのでしょうか。今となっては、これらの記述(名簿と略伝も含めて)のおかげで、戦争と地域社会のかかわりや戦死者の生き様・死に様を、たどることができるのです。
現在『新修大津市史』が現役版となっていますが、これには戦死者の名簿はありません。戦後版は、どの自治体の公史も戦争に批判的な文章になっています。しかし、戦争の記録がすっかり抜けている場合があり、疑問を感じる本もあります。
戦死が名誉とされ、同時に公の死ですから、その偉業を記録するという意味で書き込んだのでしょうか。今となっては、これらの記述(名簿と略伝も含めて)のおかげで、戦争と地域社会のかかわりや戦死者の生き様・死に様を、たどることができるのです。
現在『新修大津市史』が現役版となっていますが、これには戦死者の名簿はありません。戦後版は、どの自治体の公史も戦争に批判的な文章になっています。しかし、戦争の記録がすっかり抜けている場合があり、疑問を感じる本もあります。
大津市が出した2つの碑ガイドブック~戦前と戦後のちがい~ ― 2009/09/20
大津市立図書館で、市内にある忠魂碑の数と所在を知りたいと思い、文献を探してもらいました。出てきたのは、二つの本でした。両方とも、大津市が出版しています。
一つは、『大津の碑』(昭和61年)。これは、これまでもブログで紹介したことのある本です。「ふるさと大津歴史文庫」の3として世に出ています。いまは、絶版かも知れません。支所に忠魂碑の情報を求めて訪ねていくと、いつもこれをもって職員が出てこられます。
先日、見つけていただいたのは、『碑と塚』というタイトルの古めかしい小冊子です。形も大きさも、『大津の碑』と同じで、B6版。ただこの本の出版は、昭和16(1941)年です。つまり、敗戦の4年前。戦後版の『大津の碑』が19686年ですから、半世紀の間隔があいているのですし、それだけの面白さがあります。
たとえば、戦前版の章立てを見出しから紹介すれば、「御聖蹟に関するもの」「史実に関するもの」「戦役に関するもの」「頌徳に関するもの」「伝説に関するもの」「その他」となっています。天皇家に関するものが最初にきていること、戦争の碑が独立した章になっているなど、いかにも時代を感じさせます。
この本によって、石山の忠魂碑の写真をはじめて見ることができました。位置もだいたい想像がつきます。なかには見たこともない忠魂碑があり、破壊か撤去されたのではないかと思うものもありました。掲載されている写真は貴重な記録となります。
戦後版(『大津の碑』)は、この戦前版(『碑と塚』)とは逆な意味で問題があると思えます。「羹に懲りて膾を吹く」的に、軍国主義を鼓舞した碑をわざとらしく(と私には思える)無視しているからです。避けずに、位置づければいいと思います。
これら二つの本については、再三触れることにします。
一つは、『大津の碑』(昭和61年)。これは、これまでもブログで紹介したことのある本です。「ふるさと大津歴史文庫」の3として世に出ています。いまは、絶版かも知れません。支所に忠魂碑の情報を求めて訪ねていくと、いつもこれをもって職員が出てこられます。
先日、見つけていただいたのは、『碑と塚』というタイトルの古めかしい小冊子です。形も大きさも、『大津の碑』と同じで、B6版。ただこの本の出版は、昭和16(1941)年です。つまり、敗戦の4年前。戦後版の『大津の碑』が19686年ですから、半世紀の間隔があいているのですし、それだけの面白さがあります。
たとえば、戦前版の章立てを見出しから紹介すれば、「御聖蹟に関するもの」「史実に関するもの」「戦役に関するもの」「頌徳に関するもの」「伝説に関するもの」「その他」となっています。天皇家に関するものが最初にきていること、戦争の碑が独立した章になっているなど、いかにも時代を感じさせます。
この本によって、石山の忠魂碑の写真をはじめて見ることができました。位置もだいたい想像がつきます。なかには見たこともない忠魂碑があり、破壊か撤去されたのではないかと思うものもありました。掲載されている写真は貴重な記録となります。
戦後版(『大津の碑』)は、この戦前版(『碑と塚』)とは逆な意味で問題があると思えます。「羹に懲りて膾を吹く」的に、軍国主義を鼓舞した碑をわざとらしく(と私には思える)無視しているからです。避けずに、位置づければいいと思います。
これら二つの本については、再三触れることにします。
『マキノ町誌』(昭和62年)に見る忠魂碑の記述 ― 2009/09/20
『高島郡誌』は戦前の出版ですが、『マキノ町誌』は昭和62年、つまり1987年の出版。2005年、悪名高い「平成の大合併」で、高島市に合併されたので、マキノ町史としては、これが最後のものとなりました。もっとも、郵政民営化さえ見直しの流れがあるくらいですから、再分割もないとはいえませんが。マキノの自治体史に旧版があるのかどうかまではわかりませんでした。
1987年に出版ですが、戦死者の個人名が書かれた名簿が載せられています。この点は、戦後の大津市史とは、異なっています。
内容全体については、後日紹介するとして、当面の目的である「忠魂碑」の部分を見てみたいと思います。
以下は、「第七章 いろいろな戦役と災害」の「戦没者」の項の一部です。
1987年に出版ですが、戦死者の個人名が書かれた名簿が載せられています。この点は、戦後の大津市史とは、異なっています。
内容全体については、後日紹介するとして、当面の目的である「忠魂碑」の部分を見てみたいと思います。
以下は、「第七章 いろいろな戦役と災害」の「戦没者」の項の一部です。
各村では「村葬」として、村当局、在郷軍人会・婦人会・青年団・小学生たちなどまで遺骨を迎え、葬列を整えて小学校などの村葬会場に参集し盛大に霊を弔った。当時、各村にあった忠魂碑に合祀たのである。忠魂碑は海津村では且過に、剣熊村では小荒路に、西庄村では広野に、百瀬村では新保にあった。「あった」という過去形の記述から推すと、現在はないということになるのでしょうか。
甲賀市の帰りに新鮮なミルク ― 2009/09/20

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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