![](http://nostalghia.asablo.jp/blog/img/2013/09/03/2be871.jpg)
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
10月9日から日米合同演習@あいば野演習場 ― 2009/09/27
以前にブログで書いたことですが、防衛庁が饗庭野(あいばの)での日米合同演習の日程を明らかにしたそうですね。来月10月9日から18日まで。まもなくということになります。
滋賀民報に次のような記事がありました。
滋賀民報に次のような記事がありました。
訓練に参加するのは、陸上自衛隊が第3師団第7普通科連隊基幹(京都福知山市)の約680人、米陸軍は第42歩兵師団第1-69歩兵大隊基幹(ニューヨーク州兵)の約200人、小銃、機関銃、対人狙撃銃、対戦車誘導弾、迫撃砲、155ミリ榴弾砲、てき弾発射機、74式戦車《上の写真です=BIN★》などの武器を使い、基本射撃、戦闘射撃、市街地戦闘、ヘリボン(ヘリコプターでの攻撃)、斥候(せっこう=偵察)の機能別訓練(10日、11日、13日、14日)と総合訓練(15~17日)、ホームビジット(米兵が家庭訪問、12日)を予定しています。10月3日に、抗議集会が予定されています。集会には、近畿各地から人が集まってきますが、私には、地元の人たちの参加や気持ちが気になります。抗議して去っていく人たちの目には、反応が鈍いとか思われるかもしれませんが、自衛隊基地とともに生きていくことを余儀なくされているわけで、その心を捉える抗議行動が望まれると思えるのです。
『花風香(カフカ)の湯』(旧甲賀町)がなくなった!? ― 2009/09/27
カミさんが以前何度か言っていました。『「かふかのゆ」に行って来た』と。この「かふか」は、カフカだと思っていました。つまり、『城』とか『変身』を書いた作家のカフカです。私自身は、もくもくファームの帰りに家族でこのおフロに入ったことはあるのですが、どういう字を書くのか全然、気にもしていませんでした。
![](http://nostalghia.asablo.jp/blog/img/2009/09/27/c255a.jpg)
久しぶりに立ち寄って発見したのは、この張り紙。
驚いたことに、今年の春に閉業されていたのです。残念!
閉鎖の理由となっている「近隣において本格的な温泉施設の整備も進み」とは、なにを指すのでしょうか。それにしても、この広大な一角は、全体がシステムとして機能するはずだった土地。一つが閉鎖に追い込まれると、全体構想はどうなるのかと心配になります。
そして、旧甲賀町時代に公立でつくられたお風呂です。なくなることに旧町民は、どういう気持ちでいるのでしょうか。
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久しぶりに立ち寄って発見したのは、この張り紙。
驚いたことに、今年の春に閉業されていたのです。残念!
お知らせせっかく甲賀市に出張し、仕事をしているのですから、もう一度ぐらいは入りたいと思っていました。市民は600円、市民以外は1300円だったと思います。
『花風香の湯』は、平成二十一年三月三十一日をもちまして閉業とさせていただきました。
平成八年に心も体もリフレッシュできる天然ハーブのお風呂としてオープンし、創業から十三年もの永きに渡り、多くの方にご利用いただきましたが、近隣において本格的な温泉施設の整備も進み、公立施設としての役割をこの度終えさせていただきます。
これまで『花風香の湯』をご利用いただき誠にありがとうございました。
甲賀市役所都市計画課
閉鎖の理由となっている「近隣において本格的な温泉施設の整備も進み」とは、なにを指すのでしょうか。それにしても、この広大な一角は、全体がシステムとして機能するはずだった土地。一つが閉鎖に追い込まれると、全体構想はどうなるのかと心配になります。
そして、旧甲賀町時代に公立でつくられたお風呂です。なくなることに旧町民は、どういう気持ちでいるのでしょうか。
「あなたのまちは、どんなまち?」に答えのあるまちづくりが必要だと思います ― 2009/09/27
私は大津市に住んでいます。高島郡の5町1村の合併が強行されるのも見てきました。志賀町の大津市への合併もそうです。
平成の大合併のあと、夢を抱いたり、賛成した人も「こんなはずではなかった」とか、「合併してなんにもいいことはない」という感想が出されるのが普通です。合併前の町村が、まちの伝統と自然環境を生かして、独自の施策を進めていたのに、それが中断されて無残な姿をさらす場合が目に付きます。
目に見える残骸は、旧庁舎です。その他、目に見えませんが、高齢者に対する厚い施策とか、過疎地対策とかは、真っ先にきり縮められていきました。
9月から10月は、甲賀市に毎日通うことになりしたが、ここでもそうですね。甲賀町の場合で目に付くのは、『花風香(かふか)の湯』がある『鹿深(かふか)夢の森』。
中心市街地から離れているので、交通の便などに問題があるのではないかと思いましたが、ここに『花風香の湯』、町役場、図書館などが集約されて、まちの中核をつくる予定だったそうです。それらを束ねる中心概念が「創健」(?!)でしょうか。要するに、健康づくりをまちづくりの中心テーマにしようということですね。
合併によって、町役場の建設は中止、『花風香の湯』は積み立てた改修費も合併の際に消えて、閉鎖に追い込まれました。町役場は、「創健館」と名前を変えて建物は規模を縮小して完成したみたいですが、いかにも中途半端で、まちの中核とはなりえません。
町役場が建設されず、お風呂も閉業。残るは図書館。この広大な敷地が、うらぶれて見えてきます。敷地内で雑草が刈られないで放置されているのは、先を暗示する気がします。
旧町時代の構想がそのまま成功したかどうかは、わかりません。しかし、何億か知りませんが、税金をつぎ込んだのですから、朽ちるに任せることなく、生かすことを考えるべきですね。
平成の大合併のあと、夢を抱いたり、賛成した人も「こんなはずではなかった」とか、「合併してなんにもいいことはない」という感想が出されるのが普通です。合併前の町村が、まちの伝統と自然環境を生かして、独自の施策を進めていたのに、それが中断されて無残な姿をさらす場合が目に付きます。
目に見える残骸は、旧庁舎です。その他、目に見えませんが、高齢者に対する厚い施策とか、過疎地対策とかは、真っ先にきり縮められていきました。
9月から10月は、甲賀市に毎日通うことになりしたが、ここでもそうですね。甲賀町の場合で目に付くのは、『花風香(かふか)の湯』がある『鹿深(かふか)夢の森』。
中心市街地から離れているので、交通の便などに問題があるのではないかと思いましたが、ここに『花風香の湯』、町役場、図書館などが集約されて、まちの中核をつくる予定だったそうです。それらを束ねる中心概念が「創健」(?!)でしょうか。要するに、健康づくりをまちづくりの中心テーマにしようということですね。
合併によって、町役場の建設は中止、『花風香の湯』は積み立てた改修費も合併の際に消えて、閉鎖に追い込まれました。町役場は、「創健館」と名前を変えて建物は規模を縮小して完成したみたいですが、いかにも中途半端で、まちの中核とはなりえません。
町役場が建設されず、お風呂も閉業。残るは図書館。この広大な敷地が、うらぶれて見えてきます。敷地内で雑草が刈られないで放置されているのは、先を暗示する気がします。
旧町時代の構想がそのまま成功したかどうかは、わかりません。しかし、何億か知りませんが、税金をつぎ込んだのですから、朽ちるに任せることなく、生かすことを考えるべきですね。
「朽木いきものふれあいの里センター」(高島市)が移管・廃止?! ― 2009/09/27
「おすい」のフタは「まちの顔」 ~土山町の場合~ ― 2009/09/27
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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