お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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枯れた味わいの旧「甲賀の総社」油日神社2009/09/30

静かな境内と林にかこまれた荘厳な油日神社
 私の甲賀市滞在での仕事も、あと3週間をきりました。ますますゆとりがなくなる時期ですが、市内各地を見て回るのも仕事の一部です。
 神社についてほとんど知識がないまま、「油日(あぶらひ)神社」を訪れました。ちょうどお昼時でしたので、朝買っておいたパンを車のなかで食べて(時間が惜しいので)、すぐ神社を見に行きました。駐車場からどういけば、神社につくのやらと不安に思いながらです。木が生い茂っている林のなかに、屋根が見えましたから、ここだと急ぎました。
 まったく人気のない地所に、色の装飾がいっさいない枯れた木の、堂々とした神社が現れました。建築に詳しくなくても、この建物の値打ちが直感されたほどです。観光化した神社にない静けさと荘厳さが、騒音が聞こえない境内とあいまって、神聖さをかもし出しています。ふと見ると、写生されている方がいましたので、話かけました。

「楼門」@油日神社2009/09/30

「楼門」@油日神社
 神社の建築に興味をもったことがない私でしたが、色がすべて剥げ落ちながらも、荘厳さを保っている「油日神社」を見たとき、調べてみたい気持ちになりました。
 この神社は、楼門、回廊、拝殿、本殿が一直線に並んでいるのが特徴だとか。比較する知識がないの私ですので、その貴重さがわかりません。
 写真は「楼門」。神社に入るときに、威圧感を感じます。永禄9年の建立といいます。

「回廊」@油日神社2009/09/30

「回廊」@油日神社
 回廊とは、屋根つきのまわり通路という意味でしょうか。清掃が行き届いていること、イタズラ書きがないことは、神聖な気分を高めます。
 すべての神社に回廊があるのでしょうか。なかなか思い出せません。

「拝殿」@油日神社2009/09/30

「拝殿」@油日神社
 お恥ずかしい話ですが、このような建物が神社にあるのは知っていますが、「拝殿」と呼ぶことは知りませんでした。以前、旧大津陸軍墓地の説明会の待ち合わせ場所に、近くの神社の拝殿を指定されたことがありましたが、本殿と拝殿の違いがわからなくて、戸惑った覚えがあります。キチンと聞けばよかったですね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)