お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
滋賀県の民主党が「推進」から「凍結」に転換 ― 2006/07/10
県知事選挙の結果を受けて、国松支持であり新幹線新駅推進の立場だった民主党が、はやばやと方向転換をしました。
いっせい地方選挙と参議院選挙が行われる年であることとは無縁ではありません。
しかし、あまりの変わり身の早さに「これまではなんだったんだ」と思う人は少なくないはずです。
政治家の言葉や行動が軽くならないように、そして、政治不信につながらないようにする義務が政党にはあると思います。
しかし、県民の願う方向への転換であることで歓迎することはできます。県議会で、それにふさわしい態度をとることで信頼を回復できるかどうかがきまると思います。
*************京都新聞の報道から********************
民主滋賀県連 「凍結」に転換
「民意と乖離あった」
民主党滋賀県連は八日、野洲市内で幹事会を開き、二日の知事選で新幹線新駅建設の凍結を公約にした嘉田由紀子氏(五六)が当選したことを受け、党が掲げてきた「推進支持」から「凍結支持」に方針を転換することを決めた。
幹事会では、選挙の敗因や今後の党方針を話し合い、推薦した現職の国松善次氏(六八)の落選理由を「県連の方針と決定は、民意と乖離(かいり)があった」とした。新幹線新駅問題については「嘉田氏の当選は、議論の仕切り直しをするべきだという民意だ。凍結を支持する」として、これまでの推進方針を一転させた。
川端達夫代表は「報道機関の調査でも、民主党支持層の多くが嘉田氏に投票したとされる。県民の期待を大きく裏切ったことを反省し、再出発を図る」と、方針転換の理由を説明した。新幹線新駅問題に対する対応は「建設推進の意思はリセットし、凍結に向けた具体的な提案を待って、(嘉田氏と)一緒に議論する」とした。
また、知事選に対する責任問題について、川端代表は「(幹事会で)責任を問う意見はなかった」とし、県連代表の続投を示唆した。
[2006年7月9日掲載]
いっせい地方選挙と参議院選挙が行われる年であることとは無縁ではありません。
しかし、あまりの変わり身の早さに「これまではなんだったんだ」と思う人は少なくないはずです。
政治家の言葉や行動が軽くならないように、そして、政治不信につながらないようにする義務が政党にはあると思います。
しかし、県民の願う方向への転換であることで歓迎することはできます。県議会で、それにふさわしい態度をとることで信頼を回復できるかどうかがきまると思います。
*************京都新聞の報道から********************
民主滋賀県連 「凍結」に転換
「民意と乖離あった」
民主党滋賀県連は八日、野洲市内で幹事会を開き、二日の知事選で新幹線新駅建設の凍結を公約にした嘉田由紀子氏(五六)が当選したことを受け、党が掲げてきた「推進支持」から「凍結支持」に方針を転換することを決めた。
幹事会では、選挙の敗因や今後の党方針を話し合い、推薦した現職の国松善次氏(六八)の落選理由を「県連の方針と決定は、民意と乖離(かいり)があった」とした。新幹線新駅問題については「嘉田氏の当選は、議論の仕切り直しをするべきだという民意だ。凍結を支持する」として、これまでの推進方針を一転させた。
川端達夫代表は「報道機関の調査でも、民主党支持層の多くが嘉田氏に投票したとされる。県民の期待を大きく裏切ったことを反省し、再出発を図る」と、方針転換の理由を説明した。新幹線新駅問題に対する対応は「建設推進の意思はリセットし、凍結に向けた具体的な提案を待って、(嘉田氏と)一緒に議論する」とした。
また、知事選に対する責任問題について、川端代表は「(幹事会で)責任を問う意見はなかった」とし、県連代表の続投を示唆した。
[2006年7月9日掲載]
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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