お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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嘉田知事誕生と目片信大津市長の立場2006/07/05

滋賀県知事選挙の結果は、県内の市町に大きな影響を及ぼしていくはずです。直後に、記者会見した目片市長の発言内容に注目しました。

*********京都新聞の記事から*************

「市計画、影響なし」市役所移転で大津市長

 大津市の目片信市長は四日の会見で、新知事に嘉田由紀子氏が選ばれたことを受け、大津港そばの滋賀県有地に市役所を新築移転する市の計画について「すでに県との協議が進んでいる。嘉田さんが知事になったからといって、影響は出ない」と述べた。市の計画に反対し、知事選で嘉田氏を支援した市民グループが県有地を売却しないように求めることを踏まえての発言で、市長は「新知事は冷静に判断されるはずだ」と語った。
 市役所の移転計画は、国松善次知事と目片市長の協議を経て、県有地を市に売却する方向で進んでいる。しかし、市民グループ「市庁舎の移転先を考える市民の会」(服部正章代表代行)は、現庁舎近くの皇子が丘公園内に移転する独自の計画をまとめ、実現するために嘉田氏を支援した。服部代表代行は「新知事はわれわれの主張を理解している。当然、県有地を市に払い下げないように求める」としている。
 こうした動きに対し、目片市長は「市町の問題を一部の利害関係だけで知事が判断されるわけがないし、市民にも理解されない」と話した。
 また、嘉田氏が公約に大津市栗原地区に県産業廃棄物焼却施設を建設する計画の「凍結」を掲げていることについて、目片市長は「県がやめると言うなら、口を挟む問題ではない」と述べ、建設を求める考えのないことを明らかにした。

[2006年7月5日掲載]

滋賀県の民主党が「推進」から「凍結」に転換2006/07/10

 県知事選挙の結果を受けて、国松支持であり新幹線新駅推進の立場だった民主党が、はやばやと方向転換をしました。
 いっせい地方選挙と参議院選挙が行われる年であることとは無縁ではありません。
 しかし、あまりの変わり身の早さに「これまではなんだったんだ」と思う人は少なくないはずです。
 政治家の言葉や行動が軽くならないように、そして、政治不信につながらないようにする義務が政党にはあると思います。
 しかし、県民の願う方向への転換であることで歓迎することはできます。県議会で、それにふさわしい態度をとることで信頼を回復できるかどうかがきまると思います。

*************京都新聞の報道から********************

民主滋賀県連 「凍結」に転換
 「民意と乖離あった」

 民主党滋賀県連は八日、野洲市内で幹事会を開き、二日の知事選で新幹線新駅建設の凍結を公約にした嘉田由紀子氏(五六)が当選したことを受け、党が掲げてきた「推進支持」から「凍結支持」に方針を転換することを決めた。
 幹事会では、選挙の敗因や今後の党方針を話し合い、推薦した現職の国松善次氏(六八)の落選理由を「県連の方針と決定は、民意と乖離(かいり)があった」とした。新幹線新駅問題については「嘉田氏の当選は、議論の仕切り直しをするべきだという民意だ。凍結を支持する」として、これまでの推進方針を一転させた。
 川端達夫代表は「報道機関の調査でも、民主党支持層の多くが嘉田氏に投票したとされる。県民の期待を大きく裏切ったことを反省し、再出発を図る」と、方針転換の理由を説明した。新幹線新駅問題に対する対応は「建設推進の意思はリセットし、凍結に向けた具体的な提案を待って、(嘉田氏と)一緒に議論する」とした。
 また、知事選に対する責任問題について、川端代表は「(幹事会で)責任を問う意見はなかった」とし、県連代表の続投を示唆した。

[2006年7月9日掲載]

『ノスタルジア』--すれちがいの世界に2006/07/16

タルコフスキーの《ノスタルジア》を
再び見ました。
それが、ロシアのどういう問題を扱っているのか
ということは、まったく抜きにして
思ったことを書いてみたいのです。

●愛がそこにあるのに

通訳の女性って魅力的ですね。
おまけに、主人公がその気になれば、
愛をうけいれる姿勢が
ありありと見えています。
でも、それが主人公には目に入りません。
男と女の二人きりの旅路。
生殺しのようなものです。

なぜか?
それは、主人公の詩人が、
女性との愛や家族によっても癒されない病を
もっているからです。
心に巣食う狂気のような《ノスタルジア》。
その狂気が、通訳の魅力的な女性を
差し置いて、ある狂信家に彼を近づける
ことになります。

それは理不尽な関心としか思えません。

妻と通訳の女性が主人公の夢のなかで
おたがいにいたわりあう姿が浮かびます。
同じ悲しみを共有するもの、というわけでしょうか。

●狂気

私は、ロシア人ではありませんから、
《ノスタルジア》とは無縁です。
しかし、家族との幸せな生活だけでは
満たされないなにかがあることは
わかります。

幸せのなかにあってなお満たされないなにかが
自分のなかにあり、ときどき叫びをあげるのです。

《ノスタルジア》では、
そのような狂気をもつ二人の人物が
それぞれその狂気に殉じる姿が
描き出されています。
こういう殉死が、特殊なことならば、
この映画は、無意味なものとなったでしょう。
人間には、そういうなにかがあればこそ、
この映画はリアリティをもって
人の胸を打つのでしょうね。

シューベルト晩年のソナタをききながら2006/07/22

●往復4時間の道のりで

この7月いっぱい、大津市から長浜市まで、
往復で4時間かかる道のりを毎日通っています。
仕事に区切りがつくのは、深夜のことです。
終わる時間も不確かです。
そのため、JRの時刻表をきにせず、
すぐ帰路につける自分の車にしています。

●闇ににあう音楽 シューベルト晩年のソナタ

疲れて帰る深夜の湖岸道路(琵琶湖の東岸ほぼ全体)は、
目の前の道路以外は、黒々とした塊しか見えません。
それらの闇は、眠気も誘いますが、
いろんな空想の扉もあけてくれるのです。
昼間の喧騒(外界)から内界への
私の気持ちにもっともなじんでくれたのが、
シューベルトの最晩年の三つのピアノ・ソナタでした。

●なぜ?

聴きながら、いつも思うのです。

「シューベルトの晩年のピアノ・ソナタは、
 なぜ、こんな暗く沈んでいくのだろう? 」

私は、それを知りたく思いました。


●喜多尾道冬さんの本

本屋さんで探し出してきたのが、 喜多尾道冬さんの
『シューベルト』(1997年 朝日選書 朝日新聞社) でした。

それによると、シューベルトの晩年は、30代後半におとづれます。
この若さだったけれど、死は、この作曲家自身に
確実なものとして予測されるものでした。
なぜなら、状況証拠しかありませんが、
シューベルトが1822年に梅毒に感染し、
それが彼の絶望の根底にあるというのです。

●私はおもいました

不治の病のなかで、 破綻すれすれになりながら、
シューベルトは、ただ暗いだけの音楽を書いたわけではありません。
生きることをすばらしいと感じさせる音楽を、
死をもっても打ち消せない音楽の力を信じて
書き続けたように思えます。

死の不安な影を強く感じさせる音楽(D.960の第一楽章)のあとには、
それを受け入れるかのような安堵感と悲嘆が交差する音楽
(同2楽章)が続きます。

「ます」の音楽家は、ファウストのように
「時よ、止まれ。お前は美しい」と
どこかで叫んでいるように思います。

シューベルトが絶望のなかで残した音楽は、
それを聴けばどんな境遇にあろうとも、
生まれてきたことを後悔することがないように、
人生は美しいものだと訴えているように
私には思えました。

●空腹の帰路にはやっぱりパンの方がありがたい

もっとも、空腹のまま帰る2時間は、
シューベルトの音楽もときに効果がないものでしたけれど。

上の写真は、マウリッツォ・ポリーニさんのCDジャケットです。

嘉田県政の誕生が民主党に衝撃を与えていますね2006/07/29

 議会の中では少数派だった新幹線新駅中止派が、県民の中では多数であることは、世論調査で明らかでした。しかし、それと選挙とは別物という頭が民主党のなかにあったのでしょう。
 民主党県連は、新幹線新駅推進の立場も、国松知事支持の立場も変えることなく、県知事選挙に臨みました。その結果が、国松惨敗。
 組織票からは想像もできない選挙結果は、全国にも衝撃を与えました。「もったいない」は全国区になったのです。
 民主党県連が県民の世論がこうして投票行動にまっすぐ反映したことで衝撃をうけた様子が新聞報道を通じてよくわかります。
 おりしも今年は参院選挙の年。県知事選挙も、いっせい地方選挙もそれと区別して考えることはできないはずです。
 オール与党体制にどっぷりつかっていた民主党の指導部の方々は、あらためて自分たちと支持層との間におおきな距離があったことを認識させられています。
 どう動くか注目されます。

***************京都新聞の報道から**************************
「転換」嘉田新県政
民主党県連 尾引く敗戦
釈明に追われる

 民主党滋賀県連が知事選の後、支持者への釈明に追われている。前知事を推薦したが、党支持者の多くが嘉田由紀子知事に投票し、党と支持者の間に隔たりがあったためだ。最大の争点となった新幹線新駅について凍結を掲げた嘉田知事が当選したことで、来春の統一地方選へ向けたマニフェスト(公約)の練り直しも迫られている。
 「民主党には先見の明がない」「もっと有権者の声をくみ取ってくれる政党だと思っていた」。知事選後、県議会会派「民主党・県民ネットワーク」の青木愛子県議=野洲市=に、主婦や退職者ら約二十人から、こんな電話やファクスが届いた。青木県議はそのたびに「県議選で支援を受けた連合滋賀は前職を推薦した。党を離れて嘉田さんを応援する勇気がなかった」と弁明した。
 同党県連は選挙後、一転して新幹線新駅建設の凍結支持を決めた。公約に凍結を掲げた嘉田知事が当選したことで、民意を尊重したからだ。ただ、新幹線問題を除けば嘉田県政に対して是々非々で臨む方針だ。
 青木県議は「心情的には嘉田知事を応援したいが、党の決定には従わないといけない」と複雑な思いを打ち明ける。
 党支持者の中には、統一地方選で嘉田知事を支える候補の登場を期待する人もいる。琵琶湖の環境保全をテーマにした市民劇団「湖人の会」事務局長の西本育子さん(六二)=大津市=は「県議選では嘉田知事を後押しする人を選びたい。民主党には、そんな候補をしっかり応援してほしい」と注文をつける。
 同党県連は来年四月の県議選に向けて作成を進めてきたマニフェストの内容を、嘉田知事の当選を受けて、再検討せざるを得なくなった。
 例えば、当初は新幹線新駅の是非を盛り込まない予定だった。県議の間で意見の隔たりがあるためだ。しかし、再検討後のマニフェストには、新幹線新駅の建設凍結を加える方向で調整している。嘉田知事が凍結を打ち出したダムや廃棄物焼却施設についても、党の見解を記す予定だ。
 マニフェストの制作責任者の徳永久志県議=近江八幡市=は「嘉田知事のマニフェストは県民の信を得た政策であり、民主党もそれを土台に内容を議論する必要がある。そうしないと有権者の支持を得られない」と危機感を抱く。

[2006年7月28日掲載]

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)