お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

嘉田県政の誕生が民主党に衝撃を与えていますね2006/07/29

 議会の中では少数派だった新幹線新駅中止派が、県民の中では多数であることは、世論調査で明らかでした。しかし、それと選挙とは別物という頭が民主党のなかにあったのでしょう。
 民主党県連は、新幹線新駅推進の立場も、国松知事支持の立場も変えることなく、県知事選挙に臨みました。その結果が、国松惨敗。
 組織票からは想像もできない選挙結果は、全国にも衝撃を与えました。「もったいない」は全国区になったのです。
 民主党県連が県民の世論がこうして投票行動にまっすぐ反映したことで衝撃をうけた様子が新聞報道を通じてよくわかります。
 おりしも今年は参院選挙の年。県知事選挙も、いっせい地方選挙もそれと区別して考えることはできないはずです。
 オール与党体制にどっぷりつかっていた民主党の指導部の方々は、あらためて自分たちと支持層との間におおきな距離があったことを認識させられています。
 どう動くか注目されます。

***************京都新聞の報道から**************************
「転換」嘉田新県政
民主党県連 尾引く敗戦
釈明に追われる

 民主党滋賀県連が知事選の後、支持者への釈明に追われている。前知事を推薦したが、党支持者の多くが嘉田由紀子知事に投票し、党と支持者の間に隔たりがあったためだ。最大の争点となった新幹線新駅について凍結を掲げた嘉田知事が当選したことで、来春の統一地方選へ向けたマニフェスト(公約)の練り直しも迫られている。
 「民主党には先見の明がない」「もっと有権者の声をくみ取ってくれる政党だと思っていた」。知事選後、県議会会派「民主党・県民ネットワーク」の青木愛子県議=野洲市=に、主婦や退職者ら約二十人から、こんな電話やファクスが届いた。青木県議はそのたびに「県議選で支援を受けた連合滋賀は前職を推薦した。党を離れて嘉田さんを応援する勇気がなかった」と弁明した。
 同党県連は選挙後、一転して新幹線新駅建設の凍結支持を決めた。公約に凍結を掲げた嘉田知事が当選したことで、民意を尊重したからだ。ただ、新幹線問題を除けば嘉田県政に対して是々非々で臨む方針だ。
 青木県議は「心情的には嘉田知事を応援したいが、党の決定には従わないといけない」と複雑な思いを打ち明ける。
 党支持者の中には、統一地方選で嘉田知事を支える候補の登場を期待する人もいる。琵琶湖の環境保全をテーマにした市民劇団「湖人の会」事務局長の西本育子さん(六二)=大津市=は「県議選では嘉田知事を後押しする人を選びたい。民主党には、そんな候補をしっかり応援してほしい」と注文をつける。
 同党県連は来年四月の県議選に向けて作成を進めてきたマニフェストの内容を、嘉田知事の当選を受けて、再検討せざるを得なくなった。
 例えば、当初は新幹線新駅の是非を盛り込まない予定だった。県議の間で意見の隔たりがあるためだ。しかし、再検討後のマニフェストには、新幹線新駅の建設凍結を加える方向で調整している。嘉田知事が凍結を打ち出したダムや廃棄物焼却施設についても、党の見解を記す予定だ。
 マニフェストの制作責任者の徳永久志県議=近江八幡市=は「嘉田知事のマニフェストは県民の信を得た政策であり、民主党もそれを土台に内容を議論する必要がある。そうしないと有権者の支持を得られない」と危機感を抱く。

[2006年7月28日掲載]

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/23/1674358/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)