お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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カミさんのマイブーム2007/12/06

カミさんのマイブームは、ヨーグルト。
同じ職場のKさんから、
ヨーグルト菌の種を譲ってもらい、
毎日、栽培中(こういう表現でいいのだろうか?)です。

菌の名前を聞くと、
カスピ海ヨーグルト菌(こんな感じの名前)でした。
なんども食べなさいっていわれながら、
遠慮していました。
今日、はじめて、試食しました。
私:「なんかサラサラ」
カミさん:「市販のヨーグルトには、ゼラチンなんかが入っていて、固めてあるの」
私:「そうなんだ」

●はじめての輸入米のころ

もう10年ちかく前のことになります。
カミさんは、ポストハーヴェストの危険のある
外米の輸入には大反対。
しかし、米不足から解禁されて、
タイ米が使われた時期がありました。
家にいる間は、国産米を確保していました。
でも、旅行先ではそうはいきません。
一泊旅行のとき、
カミさんは外米を食べなくてすむように、
わざわざおにぎりをつくっていました。
旅行先で出たお料理を
おにぎりで食べた記憶があります。
同じく国産米が手に入りにくかったとき、
カミさんは、ベーカリーを買ってきました。
子どもがパンを食べたがったからです。
私は、勝ち誇ったように、
小麦こそ輸入品ばかりなんだといいました。
外米の輸入には反対だけど、
個人的にはやむをえないときもあるんじゃないか
といいたかったのですが、
カミさんは、ニーと笑って、
国産小麦粉の袋を取り出しました。

わが家の健康は、
カミさんの努力のおかげなんです。

思いの共有2007/12/06

●記者会見にて

こういう記者会見は、はじめてではないのです。
これで三度目。
政策的には整理はできていたので、
今日の会見をどういう場にしたいのかを自問しながら、
臨むことにしました。
私が伝えたいことは、
大津市というまちが、大きな曲がり角にあって、
大切なものを失う危機にあるという認識です。
だからこそ、変えたいと願い決意したわけです。
それは短期的に見ていたり、
時流に流されていては、
見えない変化も含まれています。
多くの困難に直面しているまちの将来を争うときに、
「無風」とか、「争点なし」という報道ほど、悲しいものはないのです。
私は、できるだけ具体的に、
大津市が直面している問題点を示し、
それとのかかわりで行政のあり方についての考えを話したつもりです。
私の思い込みかも知れませんが、
真剣に聞いていただいたことに感謝したいと思います。
尊大な言い方を許していただけるならば、
私たちの考えを知っていただくとともに、
市民が争点について、
つっこんだ認識をもてる記事を
書いていただくのに
お役に立ちたいと願ってもいたのです。

●建設業の方とのお話

たちまち事務所を借りる必要があるので、
そのために出かけていきました。
そのなかで、建設業の方に
ごあいさつをする機会がありました。
その方が口から出てきた言葉に注目しました。
「暮らしが大変。仕事がなく活気がなくなった」
「まちづくりに計画性がないために、
 かつて揃っていた町並みがくずれ去り美観が失われている」
「美しい街、びわ湖の景観がつぎつぎ失われていっている」
それらは、私が記者会見で
代弁しようとしてことの一つでもありました。
このまちに暮らしている者同士が思いの共有したひとときでした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)