お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「昭和十九年七月四日硫黄島ニ於テ戦死」2009/09/03

「昭和十九年七月四日硫黄島ニ於ヒテ戦死」
 湖西バイパスには、地上から見上げるばかり高い橋梁の上を走っている区間があります。冬などは横風が強くて、背の高い車両は、危険を感じるほどです。
 高島市から大津市へ戻る途中、その箇所を通ると左手の小山に墓地が見えます。段々畑のような形状で多数の墓碑が並んでいます。それを目にするたびに、いつか訪れてみたいと思っていました。



 手前でバイパスを降りて、側道を走り、遠くに見える墓地に向かって車を飛ばしました。近づけば、何度も通過したことのある土地でした。車でのアクセスもあり、一番下には、駐車場のスペースまでありました。
 午後6時を過ぎた墓地は、一刻一刻、薄暗さを増していく気がしました。急いで、墓地を一周しました。
 形状は一般の墓碑とかわらないものでしたが、「殉国院」という碑文で戦死者の墓碑とわかる地味なお墓でした。側面には、「陸軍兵長」という階級と氏名が刻んでありました。もう一方の側面をみたとき、「硫黄島」という文字に目に飛び込んできました。
 全文は、写真のとおりです。
 昭和十九年7月4日・・・偶然でしょうけれど、アメリカ建国記念日ですね。米軍が硫黄島に上陸するのは、昭和20(1945)年2月19日で、栗林中将が最後の攻撃に出て、戦死するのが3月26日です。
 この墓碑の方は、その半年以上前に、亡くなっているのです。

 「大津の地から、硫黄島で戦死している人がいた」・・・そんなことを何度も頭のなかで、繰り返しながら、私はたった一人、暗くなっていく墓地の中でたたずんでいました。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)