お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「なぜ女優が北極点を?」 和泉雅子さんの答え2005/08/25

「なぜ」って他人に向かってたずねるとき、
そこにはある種の羨望が混じっていないだろうか。

あまりに有名な話。
「なぜ、山に登るのか」という問いかけへの
 単純きわまりない回答がある。
 ・・・・「そこに山があるから」
 聞いたほうには、答えになっていないが、
 聞かれたほうには、十分すぎる答えなのだ。
 そこには、大河が横たわっている。
「なぜ」と聞くほうは、此岸にあり、
 彼岸にある相手にむかって、意地悪くたずねる。

この場合もそうだ。

「なぜ女優が北極点を?」

 これは、和泉雅子著
 『笑ってよ、北極点』(文芸春秋 1989年)の
 冒頭の章のタイトルである。
 さっき本棚から、転げ落ちた本のひとつである。

 《「女優だったからこそ北極点に行きたいと考える
  人生にめぐり会えたのです」と答えるしかない。
  北極点に到達することができ、そこで何を見出すか、
  何を見出したいのか。今の私にはわからない。
  北極点は、誰からも強制されたものでもない。
  私一人の夢なのだ。》

もう少し、書かれている。

TV局の仕事で南極大陸にいく。
《そのとき私は生まれて初めて、違う世界を見た。
 はげしいショックを受けた。雄大な自然を前に、
 今までの自分の生き方がコセコセしたものに
 見えてきたといったら、カッコよすぎる言い方に
 なってしまうけれど、
 言葉にすれば大体そんなところだった。》
《それが、きっかけだった。・・・好きに理由はない。》

だが、

《あるとき、こんなことを言われた。
「女優なのに、それ以上有名になりたいの?」と。
 私は悲しくなった。有名になりたいから、女性として
 初めて北極点に立つ名誉がほしいから、北極点に
 行くのではない。私の心の中の何かが、北極点に
 立ちたいと叫んでいるのだ。
 「それ以上有名になりたいの?」というなら、
 「私はこれ以上有名になりたいとは思っていない。
  もう十分に有名です」といいたい。
  私は情けなくて、くやしくて、涙が出そうだった。》

だれでも、心のなかに鳥を飼っている。
その鳥がはばたきしたいと思ったら、
もう誰も止めることはできない。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)