お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ニジンスキーの手記2005/08/28

●『ニジンスキーの手記』

この本をさがして、本棚をごそごそしていたが、ようやく見つけた。
古い本である。現代思想社で、1982年出版。
翻訳したのは、市川雅氏。

調べてみると、これはロシア語原書からではなく、
その英訳版をもとにした訳書であった。
しかも、英訳版は、割愛が多く、もとの三分の一の分量。
訳として優秀であっても、値打ちは高くはないと思われる。

最近・・・といっても1998年だが、
ロシア語原書からの翻訳が出された。
タイトルは同じ『ニジンスキーの手記』
新書館から鈴木 晶 訳で。

上の写真は、この新訳である。

ともかく旧版しかもっていないので、
そのページを繰ってみると、?????となる。
そうだ、これは狂気におちいったニジンスキーの
文字通りの手記だからだ。
話に展開はなく、短いフレーズで、繰り返されるおなじ表現。
それでも、きにせずパラパラパラ。
原著はもっと生々しく、性描写も露骨だという。
しかし、そこに魅力があるわけではない。

「訳者あとがき」にたどりつき、正気の世界にもどる。
市川氏の筆になるこの「あとがき」はすぐれたものだ。

そこに、探していたオーギャスト・ロダンの言葉を見つける。
それを引用して、この本を閉じることにしたい。

1912年5月29日、パリでニジンスキーが振付けた
マラルメの「牧神の午後」が初演される。
そして、大スキャンダルとなる。
『ル・マタン』紙にロダンはつぎのように書く。

《ニジンスキーは、肉体的な完璧さ、調和のとれた
 体つき、もっとも複雑な感情さえ、肉体によって
 伝達することができるまれに見る能力、
 というきわだった長所を備えている。
 『ペトルーシュカ』の悲しい演技は胸に迫るものであり、
 『バラの精』の最後の跳躍は、あたかも無限の空間へ
 飛びさるような感じを与える。
 だが、『牧神の午後』におけるニジンスキーを凌ぐほど
 すばらしくまた賞賛すべき演技を見出すことは 不可能であろう。
 跳躍もなく、むずかしい技術の見せ場もない。
 ただ、半ばうずくまり、不意に体を伸ばす。
 時にゆっくりと、時にはぴくりと。
 神経的にぎこちなく、彼は進み後ずさりをする。
 目は獲物を求め、胸を大きく広げて、手を開き、閉じ、
 頭はぐらりと傾き、うしろにそりかえる。
 肉体のあらゆる部分が、彼の心をよぎる動きを表現する》

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)