お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

窓から飛び降りるネコさん①2007/07/28

窓にネコさんがいます。なにをするのかと見ていたら、下を見ながらジャンプ。こんな伸びきった格好なんですね。

七月の猛暑に耐えて咲く花①2007/07/28

参議院選挙が戦われていますから、よけい暑く感じる(?)日中。仕事での行き来のなかで街の小道を通りました。そこに元気に咲く花を発見。下を見ると、水がていねいに撒かれていました。目が覚めるようなきれいな花のかげにたんねんに育てている人がいるのですね。

七月の猛暑に耐えて咲く花②アジサイ2007/07/28

夏の下町。小学校のグランドをめぐる小道の家先で咲きほこっている花です。あまりに見事なのでシャッターを切りました。

七月の猛暑に耐えて咲く花③名前がわかりません2007/07/28

青空に思いっきり映える色でした。名前がわかりません。

スクラップ&ビルド:琵琶湖文化会館は残りました2007/07/28

 1961年に建設された琵琶湖文化館。水族館と美術館を兼ね備えたお城の形をしたビルは、湖岸にこれといって目立つものがなかった時代、ランドマークとなっていました。
 なぜかわかりませんでしたが、トンボの形をしたものが建物の頂上についていました。
 しかし、琵琶湖博物館が1996年にオープンする際に、取り壊される話になりました。議会でも保存が訴えられて、現在のように存続されたのです。

いよいよ明日は参院選の投票日:マスコミは結果予測より争点や各政党の見解を正しく伝えるべきですね2007/07/28

 マスコミの世論調査は、いずれも民主優位・自民苦戦を伝えています。その他の政党は、民主への流れのなかに存在意義をどうアピールするかけんめいの努力が続けられています。
 私には、自民と公明は許せないという大きな世論の出口は、まだ定まっていないように思えるのです。
 マスコミは結果予測に熱をあげるよりも、この選挙の客観的争点や各政党の見解などを正確に伝えるべきだと私は思います。
 マスコミが伝える最終日の各候補の動きです。

*************京都新聞********************
「決戦場」大津で最後の訴え
参院選・滋賀の3候補
 参院選の選挙運動は、29日の投票日まであと1日となった。滋賀選挙区の3候補は、最終日の28日に大票田の大津市で、最後の訴えに挑む。各事務所とも「大津が決戦場」と位置付けており、時間を惜しんで県都を駆け回る。
 県内有権者の24%に当たる約26万人が住む大津市は、新たなマンションの増加などで、2004年の前回参院選時に比べ有権者が約8200人増えている。
 民主党新人の徳永久志候補(44)は、公示後すでに5回も大津入りした。市内の幼稚園前で若い世代に子育て支援策などを訴え、自転車で支持を訴えるなど知名度アップにも努めてきた。
 28日は午前中いっぱいかけて市内を街宣、夕方に繁華街などで大型集会を催す。朝倉克己党県連幹事長は「ここでの得票率が1%狂うと大きく差が出る。挑戦者の気持ちで、緊張感を持続させたい」と話す。
 自民党現職の山下英利候補(54)は、市内の住宅街や駅周辺などに選挙カーを走らせ、「地元の山下です」と、住民であることを強調している。「大津市を制するには無党派層にどれだけ食い込めるかが鍵」として、2005年衆院選で当選して話題になった「小泉チルドレン」を応援に頼み、政治に関心の薄い層へのアピールにも努めている。
 28日は市内の祭り会場に飛び入り、支持を訴えるほか、商業施設前で大規模集会を開く。
 共産党新人の坪田五久男候補(48)は、大津市を比例での県内9万票獲得の「拠点」としており、週末を中心に住宅地や商店街で政策を訴えてきた。「高齢者層が比較的多い」ととらえ、年金問題や増税への懸念を強調している。28日は終日、市内を選挙カーで回り、計35カ所でスポット演説を繰り返す。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)