お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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カメラは使い続けてあげてこそ(Nikon coolpix5400 を使ってみたいという方へ)2008/06/09

Nikon Coolpix5400さん
 ここ数日間、ひさしぶりにCoolpix5400を使いました。だんだんなじんできて、「ああしよう、こうしよう」と思い描いていました。
 しかし、戻ってきました、修理に出していたNikonD40(デジタル一眼レフで一番廉価だったと思います)。
 日曜出勤すると、仕事机の上にもってきていただいていました。ビニールのパッキングに包まれていましたので、大きなおにぎりの差し入れかと錯覚しました。
 さっそく取り出しました。「確か、SDカードを筆箱にいれていたはず・・・なのに、カバンにない!」と思ったら、なぜか、机の上にあります。「え?」という顔をしたら、すかさず、机を並べているYさんが「筆箱の忘れ物だといって昨日Hさんがとどけてくれた」といって笑っています。私が周りの人たちにお世話になりながら、生きていることがよくわかりますね。



 このカメラを修理に出してから、ストレスがたまっていたのです。
 デジタルカメラは、これで3台目。最初は、パナソニックのLUMIX初期型(沖縄旅行の前日にともかく手に入るものを持ってきてもらった)。つぎが、Nikon coolpix5400。これは、仕事で使える品質のものを選びました。そして、D40(購買価格からいくと、5400の方が高かったのですが)。
 タイムラグが少なく、自分のイメージに近いものを手軽に撮れるようになったのは、D40からなんです。デジタル以前には、ニコマートとミノルタ(懐かしい!)のα5700iを持っていましたので、coolpix5400のときでさえすこし失望感がありました。
 D40はわずかの期間で、3万枚近く撮りました。カウンターがすでに2回「0000」に戻っているのです。おまかせでけっこういい写真は撮れるようにできています。しかし、そこには限界があり、「ここまで撮れるならもっと」と思うのは人情です。「頭に描いているイメージを形にするには、努力がいるなぁ」と正直思いました。それで、いろいろ試しつづけているのです。
 ところがとの途中で、故障!仕方なく、元のCoolpixへ。
でも、悪いことばかりではないのです。D40を使ったために、このカメラをほとんど使いこなす努力をしてなかったこと気がついたのです。それで、腹を決めて、試行錯誤を数日して、確かにタイムラグなどは改善しようもないけれど、撮る写真がよくなるか、わるくなるかは、自分の腕しだいだったと気がついたのでした。
 それで、楽しく(狙った花の接写がまだ厳しいなぁと思っていましたが)なりはじめたときに、D40がご帰還。
 うれしいことはうれしいのです。でも、一番上の写真のCoolpix5400さんに申し分なくて・・・。
 廉価にてお譲りしますので、このCoolpixさんをかわいがってやろうという方いらっしゃいますか?
 予備に机の中に腐らせるのはかわいそうです。カメラは、使い続けてこそ、癖もわかるし、いい写真が撮れると思います。
 お金に換えるのが目的ではありません。使っていただけたらと思うのです。私は大津市に住んでいますので、直接、お渡しできる方がいいのですが。

真っ赤なアジサイも元の色は白?2008/06/09

真っ赤なアジサイですけれど、元は白?
アジサイの面白さは、色の変化。
真っ白な花がいつのまにか赤や青に染まっていく姿は、不思議です。
上の写真は、真っ赤です。しかし、周囲をよく見ると、白のアジサイがあったり、赤が少しついているようなアジサイがあります。



もう少し赤が広がっているのもありますね。



 これらは、別々の種類じゃなくて、白から赤へ変化しているタイムラグなんでしょうね。

イモカタバミを見つけました2008/06/09

イモカタバミ(ですよね)
 どこでも、見つけることができるカタバミ。5つのくっきりした花びらをもつこの花が気に入っています。
 外国名は「オキザリス」。栽培花としていろんな種類があるそうですね。
 カタバミムラサキカタバミアカカタバミの3種類を見つけていましたが、イモカタバミはまだでした。
 そこで、今日のお昼休みは、事務所の近くでイモカタバミ探しです。通りがかりで出会ったNさんからは、会議開始が30分早まったとの連絡。一周しても10分もかからない散歩コースですから、いつでもいいです。
 児童公園が団地のなかにあって、その小さな敷地を歩きました。
 同じカタバミでも、ムラサキカタバミは目立つピンクの花で、しかも大きい(相対的に)のです。これに比べて、カタバミはとても小さく目立ちません。
 その二つが咲いていて、比較ができる場所を探しました。



 黄色がカタバミで、ピンクがムラサキカタバミ
 ずいぶんちがいますね。
 アカカタバミは、あまり一緒に咲いていない様子。大きさは、カタバミと同じですね。前日と同じような写真になってすみませんが。



 イモカタバミを見つけたのは、団地のフェンスの土台でした。
 一番上の写真を見て下さい。「イモカタバミ」で間違っていないと思うのです。葯(おしべの先の花粉がついている袋)は、黄色でしょ。ムラサキカタバミは、白色(真ん中の写真です)。
 それに、花の中央部が、ムラサキカタバミが薄くなっているのに比べて、イモカタバミは濃い色って書いてあります。濃い色ですよね。

イオンモール出店への意見書が続々2008/06/09

イオンモール出店への意見書
 滋賀県大規模店舗立地審議会にあてて、「イオンモール出店の意見書」を出そうと、《イオンモール出店反対とまちづくりを考える会》が呼びかけています。新聞折込やチラシの配布などに応えて、さまざまな方から、会に「意見書」が届いています。直接、審議会にファックスされている方もいらっしゃるそうです。
 締め切りは、6月13日です。

ニワゼキショウ(庭石菖 Sisyrinchium rosulatum)2008/06/09

ニワザキショウは花の色が二種類です
 野草の名前を調べることが面白くなってきました。花期と色でだいたい特定できるからです(栽培花は種類がおおすぎて、とてもだめすけれど)。
 それで、調べたら、白と紫のこの小さな花は、「ニワゼキショウ」でまちがいないと思います。
 最初、見つけたのは紫。でも、近くに全く同じ形の白い花も咲いています。紅白があるんですね。タンポポにはないのに。そういえば、わが家の花も二色。普通のことなのかも知れません。帰化植物らしいですけれど、小さくても、おしゃれな花です。



上の写真をクリックしてください。こんな感じで公園に咲いていたのです。

キキョウ(桔梗)でしょうか?2008/06/09

桔梗ですか、これ
桔梗って、こんな花じゃなかったでしょうか?自信がありませんが。野草は、栽培花とちがって、その花が咲いている”場”と一緒に写してあげるのがいいんじゃなかいと思いました。


トキワハゼ2008/06/09

トキワハゼ
ちがっていたら、申し訳ありません。ネットの図鑑で見る限り、トキワハゼだと思います。似た花に、ムラサキサギゴケがありますが、模様が違うように思います。花がとても、小さいのです。これ以上、接写は無理かな。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)