お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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桐野 夏生 『I'm sorry, mama.』(2004)2009/04/12

桐野 夏生 『I'm sorry, mama.』(2004)
桐野夏生の『I'm sorry,mama.』
3日間かけて読む。
最後の一日で半分。

文庫本の表紙を読み終わった
感慨にふけりながら注視。

ようやくなにが写っているか、
なぜ写っているかがわかる。

そこからは、2人の女性の
なんともいえない悲しさが聞こえる。

ネコはいくつになってもかわいい2009/04/12

イスで丸まって眠るムー
TVや本で、子猫を見る度に、
かわいくて、もう一度、
飼ってみたくなる。

H君は、「ロシアンブルーがほしい」という。
私は、「それなら、アメショーがいい」などと
勝手なことを言っていると、
カミさんは「雑種が一番」と笑っている。

そうそう、ウチにはりっぱな雑種がいます。
ムーとモー。

イスを占領して、ムーが寝ている。
ネコはどうして、こういうかわいい寝方ができるのだろう。

その雰囲気は、写真ではなかなか伝わらないけれど。

佐谷真木人 『日清戦争 「国民」の誕生』(講談社現代新書)2009/04/12

佐谷真木人 『日清戦争 「国民」の誕生』(講談社現代新書)
佐谷真木人『日清戦争 「国民」の誕生』は、
この3月20日に出たばかりの本。
ページをめくり、即購入。

戦争とメディアの問題は、とりわけ現代的な問題です。
日清戦争は19世紀ですが、そこにこういう角度から
光が当てられていることが新鮮でした。

草創期のジャーナリズムと戦争の関係が
具体的に描かれていて興味深いのです。

従軍記者として、ほんとうに多様な人材が
戦場に出かけていったことを知りました。
正岡子規だけではなかったのです。

旅順虐殺事件など注目すべき章もありますね。

 すべてに納得というわけではありませんが、
最終章「むすび ナショナリズムのねじれ」から
「複雑な二重性の認識を」の項を引用します。
本書の立場と内容の紹介になればと思います。

日清戦争を経験することによって、日本は近代的な国民国家となった。それは日本人の誰もが「日本国民」という意識をもち、国家のために奉仕することを誇りと思い、国家と運命をともにする政治体制だった。その原体験としての日清戦争という狂気が、圧倒的な熱狂の記憶として日本人に共有されたことが、日本における国民形成と深くかかわっている。日清戦争は巨大な祝祭だった。このときの高揚感は、その後もたびたび日本社会を包みこみ、国家を狂気の戦争へと導いた。日本がのちの太平洋戦争にいたるまで戦争を繰り返したのは、一般大衆が日清戦争を熱烈に支持したことを、起爆力としている。
 日本は、周辺国に対する加害者であったが、同時に理想でもあった。国民国家という政治体制は、日本が周辺国から理想化されたことによって、東アジア全体に伝播し、世界を大きく動かしていく原動力となった。
 今日なお、日本と周辺国のあいだには歴史とどう向き合うかという問題が存在する。その根本にこのような複雑な二重性があることを、私たちはもう一度認識しなおす必要があるのではないか。

ピンクの花に赤いマフラー2009/04/12

名前なんかいいやと思うけど、なんだろこの花?
12日(日)は仕事。
主に事務所で一日を過ごしました。
それにしては、暖かくて、晴天で・・・。

人が出払っていたので、外へ出て行く
余裕は短い食事を除いてありません。
デスクワークに徹する一日となりました。

おまけに夜は宿直までしています。

といっても暇ではなくて、
9時、10時まで電話がかかってきます。
さすがに11時になると静かなものです。

もう仕事はここまで!
これまで撮った写真を眺めながら、
ブログを書くことにしました。

そうそう、このピンクの花。
ツバキかな、サザンカかな?
名前がいくつか浮かぶのですが、
結局自信がなくて、
「名前なんかどうでもいいや!」
というところに落ち着くのです。

よく見ると、花の付け根の部分が
なにやら強固ですね。
色も濃いですし、季節外れのマフラーみたいです。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)