お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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Swine influenza → influenza A(H1N1)2009/05/01

WHO(世界保健機構)は、
豚インフルエンザ」という名称から、
インフルエンザA」に変えたということです。
食肉業界への風評被害を考慮したのですね。

しかし、WHOの日本語サイトを見ると、
まだ「豚インフルエンザ」となっていました。
それには理由があるのでしょうけれど、
いったん使われ始めると、簡単には変えられないのです。
「豚インフルエンザ」という名称には、
インパクトがありますから。

それはともかくとして、「豚インフルエンザ」は、
英語で、Swine influenza というのですね。
swine は古語で、集合名詞らしいです。
swine flu
hog flu
pig flu
とも。

WHOのサイトを見てみると次の記事がありました。
Joint FAO/WHO/OIE Statement on influenza A(H1N1) and the safety of pork

In the on-going spread of influenza A/H1N1, concerns about the possibility of this virus being found in pigs and the safety of pork and pork products has been raised.

Influenza viruses are not known to be transmissible to people through eating processed pork or other food products derived from pigs.

Heat treatments commonly used in cooking meat (e.g. 70°C/160°F core temperature) will readily inactivate any viruses potentially present in raw meat products.

Pork and pork products, handled in accordance with good hygienic practices recommended by the WHO , Codex Alimentarius Commission and the OIE, will not be a source of infection

Authorities and consumers should ensure that meat from sick pigs or pigs found dead are not processed or used for human consumption under any circumstances.

名称変更は、感染の広がりを防ぐ問題とは別です。
感染された方々が、深刻な事態にならなければと
祈るばかりです。
それぞれができることをすべきでしょうし、
パンデミックに到らないよう、
最善の方策がとられることを期待します。

ムー♂ネコ2009/05/01

もうかわいい頃はすぎたけれど(ムー♂ネコ) 
最近、食生活の改善で、
スリムになってきたムー。
おなかの皮があまってきて、
少し格好が悪い。

抱き上げると、軽くなったことがよくわかる。

強気の性格である。

おいしいものをくれる人が
だれであるのか(つまり、私)
をよくわかっていて、
「ニャ~!!(メシくれ~)」を
繰り返している。

あげないまま放置すると
なんともいえない顔をする。
不愉快なのか、ふてているのか
寂しい思いをしているのか、
わからない。

それがまたいいとわたしは思う

ムー♂ネコの叫び2009/05/01

叫ぶモーネコくん
夜の屋内なので、フラッシュをたきました。
ムーが盛んに、「鰹節ほし~ぃ!!」を
繰り返しているので、
その顔を撮ろうと思ったのです。

こんな顔なんです、
「くれ~」っていうのは。

これでも放置すると、
「このバカ飼い主はわかんないのか!!」
といわんばかりに、
冷蔵庫に体をのばし、
前足まで伸ばして、
「ココッ!!」という動作をします。

この動作は撮れません。
我が家の決してキレイとはいえない
台所が丸見えになるからです。

村上春樹 『羊をめぐる冒険』(上)(下)2009/05/01

村上春樹 『羊をめぐる冒険』(上)(下)
『ねじまき鳥クロニクル』を読み終わったとき、
気持ちは、to be continued。
それで、村上春樹の他の小説にも、
ひきつづき手をだすことになりました。

そして、とくに理由はありませんが、
『羊をめぐる冒険』(1982)にしたのです。
そして、これを
今朝読み終わりました。

村上春樹色って、とても、
はっきりしているんですね。
それが嫌なら、この本で終わりに
なるところなんですが、
私は、さらにもう一冊読みたくなりました。

中毒?

あなたは、読まれましたか?

戦死と悲しみの碑 : 父と母の思い2009/05/02

悲しみの碑 「父」と「母」
そこに墓地があるのは、もう何年も
何年も昔から知っていました。

しかし、そこに足を運んだのは、
2008年の夏が最初でした。

墓地には、一般の墓と並んで、
戦死者の墓碑がいくつもありました。

戦死者の墓碑は、どれも背が高く
尖った四角錘の形をしています。
そのため、遠くからでも、
それと知ることができます。

私は、その日、そのひとつひとつを
見て歩きました。

ある墓碑の裏側に、
「父」と「母」の文字が刻まれています。

私は、その場をしばらく
離れることができませんでした。

戦死と悲しみの碑: 異土で没するということ2009/05/02

戦死と悲しみの碑: 異土で没するということ
日本は、日清戦争以降、
朝鮮や中国、そして、南方にまで
戦線を広げていきます。

その結果、遺体が故郷に帰ることない
人たちが多数生まれます。
故郷に建つのは、このような墓石なのです。

戦死と悲しみの碑 : 「誇り」2009/05/02

戦死と悲しみの墓碑 : 「誇り」
死者に送られる戒名にさえ、
軍国主義の影がさしています。
これは、「誇り」というべき称号だったはず。
しかし、時がたち、
教科書に墨が塗られたように、
その誇りは、傷つき、
無念さに変わっていったことでしょう。

それはあまりに気の毒なことです。

街路樹の傍に、ナガミヒナゲシ2009/05/03

ナガミヒナゲシ
先日、たった一輪だけ見つけた
と騒いでいたのに、今では
あちこちの街路で見かけます。

冬の間に、もうすこし
野草の勉強をしておけば
よかったと思いました。

花が次々に咲くテンポに
ついて行けない私です。

憲法タウンミーティング in 滋賀2009/05/03

憲法タウンミーティング in 滋賀
本日3日の午後1時から、
琵琶湖ホールの隣の「ピアザ淡海」で
「憲法タウンミーティング in 滋賀」
が行われました。

私は、参加する予定はなかったのですが
TS氏のすすめによって、直前に
出かけることにしたのです。

主催は、滋賀青年会議所で、
憲法改正のキャンペーンの一環なのでしょうか。
変えるべきかどうかという議論より、
国民投票法をどう活かすかという方向に
シフトした運営でした。

ミーティング中は、撮影禁止・録音禁止。
ですから、開会前のこの一枚しかありません。

国民投票法について解説したあと、
コーディネーターの役割を演じた
Aさんは学童でつながりのある方でした。

パネリストのお二人による議論は
とても参考になりました。
感想などは、どこかで書いてみたいと思っています。
ちなみに、パネリストは、
自民党の上野賢一郎衆議院議員と、
共産党の山下よしき参議院議員でした。

みなさん、お疲れ様でした。
企画された方の意図がどうあれ、
幅広い議論がきける場は大切です。

参加者は300人の会場の半分少し。
憲法「改正」が国民の切実な要求とは
なっていないことを感じました。

通りすがりのスナップ2009/05/03

彦根藩のREDS
「憲法タウンミーティング」は、Ⅰ部で引き上げて、
(Ⅱ部は、沖縄民謡:聴きたかったのですが)
急いで仕事場に戻ることにしました。

パルコ前を通るとき、
この異様な集団に出会いました。
暑さがこたえているんでしょうね、
アイスコーンを全員が持っていました。

いつもは好奇心から、「なに?」って
たずねるのですが、そんな余裕はありません。

歩きながら、カメラを取り出してカシャ。
勝手に撮ってすみません。

武田軍団から引き継いだ彦根藩の武者姿。
要するに、レッヅですね。
17世紀初頭までは実力が伴っていたようですが、
19世紀の長州戦争では悲惨な時代錯誤ぶりを
さらしましたね。

そんなことを思いながら、通り過ぎました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)