お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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なんだろ、この黄色い花?2009/04/30

黄色い花
キツネノボタンかなと思いましたが、
花びらの数がちがいます。
キツネノボタンは5枚。
この花は6枚。

なんなんでしょうね。

一枚一枚が離れていますね。
ごくごく小さい花ですよ。

四つ葉のクローバーと2009/04/30

四つ葉のクローバーです
上の写真は四つ葉のクローバー。
私が見つけたのではありません。
どうにも捨てられなくて、
仕事場に持ち帰って撮りました。

そのわけは、つぎのようなものです。

どうしても仕事中に私用があり、帰宅するはめに。
時間をもらったついでに、スタッドレス・タイヤから
はきかえることにしました。
(もう5月になるのにとは思いますが)

タイヤのホイールに問題があって、
自分ではできないのです。
そこでスタンドまで
タイヤを運んでチェンジすることになります。

といっても、運び込んでも、
すぐにはできませんから、
30分ぐらいの待ち時間を、
スタンドの近くの湖岸で過ごしました。

オープンカフェで時間をつぶし、
ガソリン・スタンドに戻ろうと、
花園を通り過ぎたところで
声をかけられました。

「あの~、カメラをもってらっしゃるし、
せっかくだから」
「はい?」
「ほら、蝶々」
ということでクローバーに
蜜を吸いにきたシジミチョウを撮りました。

そのままお礼をいって、歩き出そうとすると
「まって、ほら、これをどうぞ」の声。
女性の手には、四つ葉のクローバーがありました。

四つ葉のクローバーは、見つけた人がもってこそ
幸運をもたらすのではなかったでしょうか。
他人にあげると、効果を失うのでは?
私は、あえて、それをいわないで、
これまたお礼をいって、いただきました。

それからさらに10歩。

後方から、さっきに勝る大きな声が追いかけてきました。
「これ、あなたのだから、あげます」
(私の??)
手には、五つ葉のクローバー。
「あなたに声をかけたときに見つけたので、
 これは、あなたのものです」

私はひたすらお礼をいうしかありませんでした。

五つ葉のクローバーについては、
つぎに書きます。

五つ葉のクローバー2009/04/30

五つ葉のクローバー
四つ葉のクローバーを手に入れた次第は、
すでに書きました。
そして、五つ葉のクローバーもです。

四つ葉のクローバーはないわけではありません。
私も見つけたことはあるし、
幸運の印として、野原を散歩する楽しみの
一つにもなっています。

五つ葉は、どうなんでしょうか。
しかも、さっきの日記で書いたように、
四つ葉につづいてすぐ五つ葉が見つかるような
偶然があるものなのでしょうか。

持ち帰ってしげしげと眺めています。

とても、弱くて、しおれてしまっています。
写真を見てると、四つ葉のクローバーの
葉の一つが真ん中から切れて、
五つ葉になったのではないかと思えます。

でも、やっぱり、五つ葉なのです。
だって、どの葉も真ん中に線があります。
写真ではわかりにくくても、どれも
まっとうな葉なのです。

まあ、五つ葉ぐらいで驚いていてはだめなのでしょうか。
クローバーよりも、私にくれた方の存在のほうが、
驚きなのかも知れません。

私は別に変なオーラを出しているわけでは
ありませんでしたし、
とりわけ不幸な顔をしているわけでもありませんでした。

今日、明日あたりになにが起こるやら・・・。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)