お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

「忠魂碑」@木戸共同墓地2009/07/16

「忠魂碑」の周りは、時は止まっているように思えた
(旧)志賀町の木戸共同墓地は、清林パークの近くにある。清林パークそのものは、志賀清林の埋葬地にちなんで、造られた公園である。
 私は、戦没者の墓碑を求めて、この墓地を散策していた。入り口から外へ出て、南の方向に進んだとき、いきなり開けた場所に出た。そして、そこに「忠魂碑」が建っていたのである。
 少し前の日記で、「タイムスリップ」と書いた。 出会ったときは、時間をすりぬけた気がしたのだ。

 忠魂碑は、大きな岩が使われている。台座もあり、そして周囲に柵がめぐらしてある。その柵の支柱は、石柱で、しかも、砲弾の形をしている。
 私は、そのむきだしの軍事色に、激しい違和感を覚える。

砲弾型の支柱@忠魂碑2009/07/16

忠魂碑の周りを砲弾型の支柱が取り巻く
 戦死者の墓碑や記念碑で、りっぱな柵が設けられる場合、砲弾型の支柱に出会うことが多い。墓碑そのものが砲弾型という場合もそうであある。
 私にとって、砲弾は、負の記号なのだが、これを建てた人にとっては、名誉の記号になるのだろう。

「元帥陸軍大将川村景明書」@忠魂碑2009/07/16

「元帥陸軍大将川村景明書」@忠魂碑
忠魂碑の背面に、文字が見える。
建立した年月日とその書をしたためた人物の名前が刻まれている。

大正十一年三月十日建之
元帥陸軍大将川村景明書

川村景明氏については、Wikiipediaに項目がある。

アジサイの花の塊2009/07/16

アジサイの花の塊
地面から3メートルほどの高さに
アジサイの花があった。
とても巨大で、いくつかの花が
集まっているのだと思った。

ピンク一色のアジサイもキレイ2009/07/16

ピンク一色のアジサイもいいもんだ
一輪(というのかどうか)だけが咲いていて、
緑の補色効果を独り占め。

ガクアジサイも盛りをすぎて2009/07/16

盛りをすぎたガクアジサイはサンゴのよう
枯れはじめたアジサイは、
サンゴのように見える。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)