お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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トカゲはしっぽをフリフリ逃走しました2009/07/08

トカゲが見えますか?シッポが美しさは、おとり用?
夏は寝苦しいもの。
昨晩は、そんなに蒸し暑くはなかったけれど、
とても寝つけませんでした。

深夜にこっそりビールを飲むなんて、
私には、ありえないことでした。

さて、考えることはいっぱいあるけれど、
暑さに負けず、短い時間でも、
ウォーキングしようと思いました。

雨上がりの街が私は好きですから、
ちょうどいいタイミング。
思わぬ出会いもあるんじゃないかと
ふと期待してしまいます。

そして、最初に出会ったのは、
細長い小さなトカゲ。

近づくとあせって逃げ始めます。
だけど、すぐ停止。
少しでも距離を縮めると、
シャカシャカとまた逃げます。
とても、美しい尻尾を振りながら。

追い詰めると、シッポを切るのかな?

いたずら心で手を伸ばしました。
(つかまえる気はないのですが)

でも、さっさとお尻をふって逃亡。
あんたなんかに、あげるシッポはないよ~
なんて、言っていたら、面白いなぁと
私は、思いました。

レッドテール2009/07/04

懐かしいぞ!レッドテール
久しぶりの出会いです。
お元気でしたか?
・・・と声をかけたくなりました。

めったに立ち寄らないカフェの水槽。
その主は、レッドテール。
=赤い尾。そのままのネーミングですが、
なまずだそうです。

郷土愛でいうわけではありませんが、
琵琶湖大なまずの方が、はるかにでかいです。
住んでいるのは、確か竹生島・・・。
そうそう、TS氏が「行こう」といっていた竹生島でしたね。
今津港からフェリーで行けるはず。
港の近くに二ヶ月ぐらいに泊り込んでいたのに、
とうとう行けないままで終わりました。

カメの行列2009/05/18

猿沢の池のカメさんです。夕日がまぶしくないのかな。
幼いときに住んでいた家の近くに、
人工的な池がありました。
お寺の施設です。

そこには、長寿を祈って
カメが放流されていました。

これは、猿沢の池ですが、
カメはどこでも、
置物みたいですね。

奈良へ出張2009/05/15

奈良公園から下りてきてくれたシカさんです
珍しく仕事で奈良市へ行きました。
夜にある会場で、お話をするためにです。
近鉄京都線から奈良線へ。
待ち合わせの場所は、新大宮駅。
約束の時間には、まだ1時間の余裕がありました。
ですから、終点の近鉄奈良駅まで足を伸ばしました。
一駅ですから、なんとかなるはず。

駅に到着して歩き出したら、
足の痛みが深刻なことに
気がつきました。
これでは、公園まで歩けません。

それでも、なにか記念になるものを
撮ってから、引き返そうと思いました。

奈良町商店街はどういうわけかお休み?
それで、出会えたのは、シカさん。
池の近くまで降りてきてくれたので
助かりました。

在りし日のクマネズミくん2009/02/15

イスの下に隠れるクマネズミくん
それは、正月前のこと。
事務所の床から外につうじる小さな
通風孔が家主さんによってふさがれました。
それからまもなく、部屋のなかに
ちいさなネズミが一匹現れるようになりました。
気の毒に、外への出口を失ったためなのでしょう。

私達は、珍しい闖入者に歓声を挙げました。
緊張した仕事が続いていたので、
ハプニングは、大歓迎でした。
追いかけたり、写真を撮るなど、アイドル扱いでした。

上の写真がそれです。

しかし、冷静になると、ネズミくんの存在は大問題。
お茶菓子などがおいてあるために、
かじられては大変です。
外に出て行ってもらえるよう
寒いなか、ドアを開け放して待ちました。
でも、うまく逃げてくれません。

仕方なく、お菓子やつまみ類を
夜には、レジ袋につめて、部屋に渡した
洗濯ロープにつるしておきました。
ところが、このネズミにとって、
綱渡りは苦にならないのです。

翌朝、レジ袋のなかのカッパエビセン
が食い荒らされていました。
このスキルから、クマネズミであるとわかりました。
あきれ果てた同僚のTS氏は、
収納用具を買ってきて、そこにすべての食品を入れました。

きっとそれが災いしたのですね。

それから一ヶ月、私達は、ほとんど徹夜の大仕事。
24時間だれかが起きているような始末です。
すっかり、ネズミくんの存在を忘れていました。

高島市の事務所をたたむ少し前、
コピー機の後ろから、変わり果てた
クマネズミさんの姿を見つけました。

とても気の毒で見ていられませんでした。
下の写真は、在りし日のクマネズミくんです。

イヌはそのときご主人様を振り返り2008/10/09

イヌはそのときご主人様を振り返り
私は早朝に湖岸を散歩しながら、写真を撮っていました。
なぎさ公園から外へでるために、
遊歩道を横切ろうとしたとき、
たった一輪咲いているタンポポを見つけました。
遊歩道にしゃがみこみ、できるだけ花に
身をちかづけていたときです。
何かを感じました。
目だけ動かすと真横に真っ黒な大型犬。
そして、飼い主の初老の男性。
「なにをしているのですか」
珍しく声をかけられました。
「このタンポポを」
「いまどきタンポポが」
「そうですね、10月ですのに」
「大きなイヌですね」
「雑種です。シベリアンハスキーの」
「写真を撮っていいですか」
「ええ、どうぞ」と笑顔。
カメラを構えると、イヌさんは、この表情。
なんか前にもあったような・・・。
ご主人の笑顔に安心したのか
お澄ましして、もう一枚。




ちなみに、そのときのタンポポはこれです。

フレンチブルドッグ2008/09/28

カメラを構えたらいきなり首を振りました
瀬田川沿いのカフェで、フレンチブルドッグに出会いました。
飼い主さんと同じように、イスに座って
悠然とお客の顔をしていました。
それが面白くて、写真を撮らせてもらいました。

カメラを構えると、首をいきなり振りました。
それでぶれてしまいました。



ネコとちがって、接し方がうまくわからず、
カメラ目線をしてもらえませんでした。

・・・もしかして、これでもカメラ目線?

アユ???魚の群れがいっぱい!2008/09/23

普通に撮ると、まるで図版。魚がわかりますか?
小さな魚の群れ(アユかな)が、今津川河口いっぱいに
泳いでいるのが見えます。
しかし、もう日はとっくに落ちて、一刻一刻暗闇へ。
肉眼では、群れのうごめきが見えても、
カメラはフラッシュなしでは撮れません。

普通に撮ると、まるで図版(上の写真)のよう。
魚がわかりますか?

ほんの岸辺なら、まだわかりやすいです。
しかし、群れとしては写っていません。



これなら、まだ見えるでしょうか?
黒いのは全部、魚なんです。

カニをはさみうち2008/08/20

なんていうカニなんだろう?
竹田市から大分港への途中、
風連鍾乳洞に立ち寄る。
その入り口でカニを見つけた。
けっこうすばやいので、
K君と挟み撃ちをして撮影。
横にしか移動できないのが気の毒。

カエルの不思議なタテジマ2008/08/20

タテジマが全身を貫いているカエル(なにカエル?)
現在のわが家には庭がない。
生家は古風な日本建築。
庭が玄関にも奥にもあり、
生き物の姿を飽きることなく
見て育った。

カミさんの里は、
家の周りがすべて庭である。

カエルをコイが飼ってある池の
周囲で見つけた。
カメラを向けるとすぐ逃げる。
あとで写真で眺めると、
タテジマが全身を貫いている。
変わったデザインだと思う。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)