お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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一坂太郎『長州奇兵隊 勝者のなかの敗者たち』(中公新書2002年)2008/04/09

 ブックオフで見つけた一冊。  最近、戊辰戦争前後から日露戦争にかけての入門書を買っては、読んでいます。私が探しているのは、社会経済史的で平板な叙述ではなく、より多角的であり、より庶民の立場にたった叙述がなされている本です。政治史でも、権力に近い人たち中心のものではなく、歴史に埋れていった人たちに光を当てたものに惹かれます。
 この本は、そういうひとつ。
 サブタイトルにあるように「勝者のなかの敗者」を取り上げている点も興味深いものがあります。
 《はじめに》にはつぎのように書かれています。

 昨今の流行は「明るく」「楽しい」幕末維新の歴史。それを学んで「元気」になり「誇り」をもちましょうというのは、ちょっと虫がよすぎるのではないでしょうか。歴史に学ぶ、と言いながら、単に創られたロマンに酔っているだけのような気がする。そこで、私はあえて「暗く」「悲しい」幕末維新を語りたい。
 時代が大きく変動するとき、避けられなかった宿命は、たとえ「勝者」であっても気分が滅入りそうなほど悲惨な歴史。しかし激痛に耐え、乗り越えたからこそこんにちがある。そのことこそが本当の「誇り」であり、「元気」を呼び覚ます歴史になってほしいと思っております。何かにつけて「改革」「変革」という言葉が多用、乱用される昨今ならなおさらです。

 叙述の方法も独特です。
 なお、こうした歴史の本には不似合いかもしれませんが、あえて談話調で書きたいと思います。私がここに書きとめたいのは、生活の中で語り継がれ、放っておくと風化しそうな幕末維新史です。その中に、何らかの「真実」を見たいのです。公的な記録を並べたり、史料をひとつずつ検証していく作業が主ではありません。語り継がれてきたものならば、談話調のほうが書きやすいし、伝わりやすいと考えました。

 ここに書かれているように、これまで読んだことのないような歴史を発見できる本でした。

この実なんの実?2008/04/09

この実なんの実?
 膳所公園を歩いていて、この実が、あちこちに転がっているのを見つけました。松の実に似ています。
 別の実は、すこし殻がくずれていました。そこで手にとって驚きました。ネチャっとした樹液のようなものが手にまとわりついてきたからです。
 松の実には、そんなものは付いていません。

実のころがっている上を見上げると2008/04/09

実をいっぱいつけています、この木
 転がっている実をうかつに触ったために、松脂のようなものが指にこびりつきました。けんめいにふき取ったあと、上を見上げました。
 きっとこの木から落ちてきたのでしょうね。
 なんだろう。メタセコイア?アメリカ楓?

カメが6頭(匹?)います!2008/04/09

カメが湖面にいます
 膳所公園は旧膳所城があった出島。
夏にはヨシや水草で湖面がおおわれています。
 久しぶりに見た湖面は、緑が消え、
湖面がむき出しになったり、
枯れ草やゴミが散乱するような状態になっていました。
 いろんな緑を予想していた私は、がっかり。
 でも、よく見るとカメが、あちこちにいます。
この写真では、6頭・・・6匹・・・
なんて数えるべきなんでしょうか、います。
 わかりますか?
 クリックして写真を大きくしてください。

なにカメでしょうねぇ、イシガメかな?2008/04/09

なにカメでしょうか?
レンズを入れ替えて、
せいいっぱいズームして撮影しました。
前にも、この場所でカメを撮ったことがあります。
そのときは、ずっと大きかったと思いました。
これ、なにカメでしょうか?

あまりに鮮やかな紅い花です2008/04/09

鮮明な紅さが目立っていました
サクラが満開の季節ですが、
咲き誇るサクラの色が白く見えるほど
鮮やかな紅さが目に飛び込んできました。

これは、桃なのかな?
梅なのかな?

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)