お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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上野正彦『死体は語る』2005/08/22

「死者の人権を守れ」は
かつて話題になった上野正彦氏の
『死体は語る』(時事通信社 1989年)
の最後の章である。

話題になった本をすぐ読むのが嫌いというのが私の性格。
話題になるものには、それなりの理由があるのだが、
最初から、抵抗をかんじてしまうのである。

だから、この本もよまないまま、ほったらかし。

本棚の整理のさいに、買ったくせに
放置されている本を見つける。
そういう”見慣れない”本を見ると、やはり
かじり読みをする。

冒頭の「死者との対話」
大火傷をして死亡した幼女の話。
担当医は火傷死。
だが、死体を検証した監察医の所見は異なった。
警察が捜査を開始し、やがて母親が自供。
知恵遅れの子どもの前途を悲観し、過失を
装いヤカンの熱湯をかけたことが判明。

《なぜこうなったかはさておき、監察医は
 臨床医とは全く逆の方向から、医学を見るのである。
 まず、死体がある。
 なぜ死んだのかを調べていく。
 やがて一つの死と、それにまつわるさまざまな事情が
 はっきりしてくる。
 生きている人の言葉には嘘がある。
 しかし、もの言わぬ死体は決して嘘は言わない。
 丹念に検死し、解剖することによって、
 なぜ死に至ったのかを、死体自らが語ってくれる。
 その死者の声を聞くのが、監察医である。》

短いが40余りの章の最後に
日記のタイトルにした章がおかれている。

そして、私は死者の人権の大切さを知る。

《風邪をひけば内科へ行き、ケガをすれば外科へ行く。
 わが身を守る上で当然の選択である。
 これと同じで異状死体の検死は、死体を見慣れ、
 死者と対話できる監察医や法医学者に任せないと、
 もの言わずして死んだ人々の人権は守れない。
 死者にも、医師を選択する権利があろう。
 そのためには、地方自治体に任された監察医制度の
 活用が必要である。(中略)
 死者はどのような制度があっても生き返らない、
 などとあきらめてはならない。
 死者の側に立って
 人権を擁護している医師もいるのである。》

そういう人々に感謝をしたい。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)