お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「女性は(視野が)狭い」との森喜朗元首相の発言はだれを攻撃したものか? ― 2007/07/12
●新幹線新駅問題
懲りない連中という言い方もできるし、それが限界ということもいえます。
自民党の森喜朗元首相が、9日に富山市で講演し、滋賀県の新幹線新駅の「凍結」をかかげて当選した嘉田由紀子知事について、
「女のひとだなぁ。やっぱり(視野)が狭い。」
「日本列島が新幹線でつながる時、滋賀県には米原駅しかなくなる」
と述べたそうです。
●住民運動の立場から
嘉田知事が直接の非難の対象ですけれど、本質的には、住民運動への攻撃だと私は思います。
森元首相は、新幹線の駅建設そのものに住民が反対したかのように言っています。しかし、地域発展のために不可欠な駅ならば、滋賀県民が反対するわけがありません。できても不便だし、乗らない駅に、県民の膨大な税金が、まったく一円も支出しないJRのために造る必要はないということを住民運動は主張したのです。
議会の多数派は選挙結果を盾にして、議会の議決が民意だといって、推進を決めました。
それは民意ではないと考え、「住民投票の会」は、寒い10月から11月にかけて、来る日も来る日も、駅にたち、地域をまわって署名を集めたのです。私はよく覚えていますが、最終日は朝の7時から夜の12時まで寒い駅前でがんばられた方がいました。そのことを会に伝えると、差し入れをはじめ、いっしょにがんばろうとその駅に何人もの方が向かわれました。
そういう住民の強い意志と行動、および県民の選挙での審判が目に入らないのは、いかがなものでしょうか。
ちなみに、私が日記で紹介している新幹線新駅署名運動
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555405
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/29/1614646
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/29/1614335
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/29/1614706
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/29/1614943
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555532
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555614
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555714
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555648
カテゴリーの「住民運動」においています。
●嘉田知事のコメント
嘉田知事は、名指しで言われた当人ですから、当然、コメントをだすことになります。
新聞報道(朝日新聞12日朝刊)によれば、
「言葉尻をとらえて女性蔑視とすることは控えたい」
「動きかけた公共事業を県民の一票で止めるという新しい道をひらいた。民主主義や地方自治のあり方に関する県民の意思表示という認識がないとしたら、同じ政治家として残念」
と述べたそうです。
これは当然ながら、的を射たものになっています。
懲りない連中という言い方もできるし、それが限界ということもいえます。
自民党の森喜朗元首相が、9日に富山市で講演し、滋賀県の新幹線新駅の「凍結」をかかげて当選した嘉田由紀子知事について、
「女のひとだなぁ。やっぱり(視野)が狭い。」
「日本列島が新幹線でつながる時、滋賀県には米原駅しかなくなる」
と述べたそうです。
●住民運動の立場から
嘉田知事が直接の非難の対象ですけれど、本質的には、住民運動への攻撃だと私は思います。
森元首相は、新幹線の駅建設そのものに住民が反対したかのように言っています。しかし、地域発展のために不可欠な駅ならば、滋賀県民が反対するわけがありません。できても不便だし、乗らない駅に、県民の膨大な税金が、まったく一円も支出しないJRのために造る必要はないということを住民運動は主張したのです。
議会の多数派は選挙結果を盾にして、議会の議決が民意だといって、推進を決めました。
それは民意ではないと考え、「住民投票の会」は、寒い10月から11月にかけて、来る日も来る日も、駅にたち、地域をまわって署名を集めたのです。私はよく覚えていますが、最終日は朝の7時から夜の12時まで寒い駅前でがんばられた方がいました。そのことを会に伝えると、差し入れをはじめ、いっしょにがんばろうとその駅に何人もの方が向かわれました。
そういう住民の強い意志と行動、および県民の選挙での審判が目に入らないのは、いかがなものでしょうか。
ちなみに、私が日記で紹介している新幹線新駅署名運動
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555405
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/29/1614646
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/29/1614335
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/29/1614706
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/29/1614943
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555532
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555614
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555714
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555648
カテゴリーの「住民運動」においています。
●嘉田知事のコメント
嘉田知事は、名指しで言われた当人ですから、当然、コメントをだすことになります。
新聞報道(朝日新聞12日朝刊)によれば、
「言葉尻をとらえて女性蔑視とすることは控えたい」
「動きかけた公共事業を県民の一票で止めるという新しい道をひらいた。民主主義や地方自治のあり方に関する県民の意思表示という認識がないとしたら、同じ政治家として残念」
と述べたそうです。
これは当然ながら、的を射たものになっています。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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