お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
6月8日は、「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」第16回研究報告会 ― 2008/06/07
下記の要領で、「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の研究会が行われます。ここで、講演される檜山氏の著作『日清戦争―秘蔵写真が明かす真実』(講談社)は、先日、図書館で借りて読んだばかりです。新しい資料や写真で、日露戦争ほど注目されていない日清戦争の真実を明らかにしています。今回、真田山にこられるということで楽しみにしていましたが、8日は、どうしても抜けられない日程なのです。横山先生からお借りした文献も返却したいと思い、準備していたのに残念でなりません。
第16回研究報告会(2008年6月8日)
詳細が決まりましたのでお知らせします。
《講 演》
檜山 幸夫氏(中京大学教授)
「世界的視点から見た戦没者慰霊」
今回の研究報告会は、改めて墓地の見学を行うとともに、長年にわたって日清戦争・台湾等の戦没者慰霊の研究・調査を積み重ねられてこられた中京大学教授檜山幸夫氏に講演をお願いしています。
檜山幸夫氏はじめ中京大学等のグループは、たいへん大きな視野に立って戦没者追悼の実際を広く調査し、データを蓄積してその意味を検討しておられます。今回は檜山先生の研究に学び、本会の活動に生かしていきたいと考えています。
参加は自由ですので、どなたも当日下記の場所にお集まりください。
日時 2008年6月8日(日) 午後1:00~5:30
場所 旧真田山陸軍墓地内集会所
(大阪市天王寺区玉造本町。JR大阪環状線「玉造駅」下車西へ徒歩約5分。または大阪市営地下鉄「玉造駅」2番出口南へ1分)
1:00 ~ 受付 (資料室の見学)
1:30 ~ 3:00 墓地見学会
3:15 ~ 4:45 講演会
4:45 ~ 5:30 質疑応答・意見交換
5:30 終了(その後後片付け)
参加費 500円(当日ご持参ください)
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《檜山幸夫氏の著書紹介》
・日清戦争―秘蔵写真が明かす真実― 講談社
・日清戦争と東アジア世界の変容(上下巻) ゆまに書房
・日清戦争の社会史 フォーラムA
・日進開戦外交の研究 ユニテ
など
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_ BIN★の「この記なんの記」 - 2008年06月07日 02時56分53秒
先日図書館で借りた1冊。
日清戦争を描くという意図は別にすれば、「秘蔵写真が明かす真実」というサブタイトルの出発点は、写真の発見にあります。
1995年に鎌倉の路
日清戦争を描くという意図は別にすれば、「秘蔵写真が明かす真実」というサブタイトルの出発点は、写真の発見にあります。
1995年に鎌倉の路
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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