
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
ハーバート・G・ポンティング(長岡祥三訳)『英国人写真家の見た明治日本』(講談社学術文庫) ― 2008/06/14

先日、高島市からの帰路、ブックオフに立ち寄って購入した本の一つです。立ち読みしたときに、冒頭や本文中にある数十枚の写真の見事さに感心して買ってきました。定価は1100円で、値札は600円。残念長等、105円ではなかったです。
ハーバート・G・ポンティングは、1870年3月21日に、イギリスのソールスベリーで生まれ、1935年2月7日に亡くなっています。写真家として世に認められるのは、1900年以降。1910年から12年の間にスコット南極探検隊の一員として南極探検の記録を残しています。
日本を最初に訪問したのは、1902(明治35)年ごろ。日露戦争(1904~5年)のときに、アメリカの雑誌社の特派員として日本陸軍の第一師団に同行。戦争終了後は帰国しますが、1906年には再び日本を訪れています。
この本は、1910年に出版されています。日本語訳は1988年が初出。文庫本となったのは、2005年です。全訳ではなく抄訳。
私が最も興味をいだいたのは、日露戦争のときの記述です。広島陸軍病院の様子、ロシア人捕虜の様子、そしてなによりも、児玉源太郎、黒木為楨、伊藤博文などとの取材をつうじての個人的な交流です。
風景や文化など広い分野で、日本びいきの様子はありありとしていますし、日本人女性については絶賛です。そういう共感が暖かくて細やかな記述の根底となっています。
明治の日本人が多数写真に写っています。無名の人々の姿は、威厳に満ちています。
ハーバート・G・ポンティングは、1870年3月21日に、イギリスのソールスベリーで生まれ、1935年2月7日に亡くなっています。写真家として世に認められるのは、1900年以降。1910年から12年の間にスコット南極探検隊の一員として南極探検の記録を残しています。
日本を最初に訪問したのは、1902(明治35)年ごろ。日露戦争(1904~5年)のときに、アメリカの雑誌社の特派員として日本陸軍の第一師団に同行。戦争終了後は帰国しますが、1906年には再び日本を訪れています。
この本は、1910年に出版されています。日本語訳は1988年が初出。文庫本となったのは、2005年です。全訳ではなく抄訳。
私が最も興味をいだいたのは、日露戦争のときの記述です。広島陸軍病院の様子、ロシア人捕虜の様子、そしてなによりも、児玉源太郎、黒木為楨、伊藤博文などとの取材をつうじての個人的な交流です。
風景や文化など広い分野で、日本びいきの様子はありありとしていますし、日本人女性については絶賛です。そういう共感が暖かくて細やかな記述の根底となっています。
明治の日本人が多数写真に写っています。無名の人々の姿は、威厳に満ちています。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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